深夜特急 2 マレー半島・シンガポール

沢木耕太郎さんの深夜特急を4「シルクロード」、5「トルコ・ギリシャ・地中海」、3「インド・ネパール」、1「香港・マカオ」と読み進んで、今回は2「マレー半島・シンガポール」。西へ向かったり東に戻ったりするので、西に向かう際の興奮が一気に押し寄せる訳ではありませんが、「1972年世界一周旅行」の追体験できるのが嬉しいですね。

沢木さんがこの旅に望んだのは「執行猶予」であったと、次のように書いています。『(旅に出るために仕事の依頼を断ることで)ジャーナリズムに忘れ去られることなど少しもこわくはなかった。私には未来を失うという「刑」(なりたくはない職業的な書き手なってしまうという刑)の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。執行猶予。恐らく、私がこの旅で望んだものは、それだった(P.175)』

これ分かりますね。小生の場合は、3年が終わって就職活動をして翌年には社会人となることが堪えられなくて、1年休学して西に向かい、更には2年間の執行猶予で修士課程に進んだのですが、結局は刑は執行され、でも住めば都で会社生活を楽しめたし、会社を終えれば木工だ、ギターだ、畑だと遊びには事欠かず、「決して猶予してもらえない刑」が執行されるまで、それぞれの世界の仲間と一緒に「暇つぶし」を楽しみます。

マレー半島、シンガポール

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1972年世界一周旅行 (47) 完


2011年4月5日から掲載してきた世界一周旅行もとうとう最終回を迎えることとなりました。旅行期間は257日間だったのに、本掲載は2年半もかけて昔の日記を読み返したり、アルバムを眺めたり、本人が一番楽しめたと思います。

日本に帰って4年生に復学していざ勉強なのですが、世界旅行の余熱で就職する気にはなれなくて、そのまま修士課程に進むこととなりました。以下は日記の要約です。

1973年3月7日(水)    バスが寒くて眠れず。朝5時半にオアハカ着。ホテルベラクルスに入る。1泊40ドル。ホテル近くの朝市を眺め、10時半発のバスでモンテアルバンへ向かう。モンテアルバンのピラミッドの裏にいた怪しげな男たちから指輪を買ったが、ホテルで聞いたら亀の甲羅で作った新しいものとのこと。

1973年3月8日(木)    朝7時半のバスでメキシコシティーへ。立派な道路を飛ばすバスからは、車にはねられた犬やロバの死骸が沢山見えた。ホテルで少々休んで中華を食べに行く。酢豚に海老スープとご飯。

1973年3月9日(金)    昼まで寝てTolucaまでバスで1時間半。バザールを見物するも面白いものは無し。

1973年3月10日(土)    午前中バスで土曜バザールへ。チキンで昼飯。夜は日本人とエビとビールの後でマリアッチを聴きに行く。

1973年3月11日(日)    8時半に起きてバレーを見に行く。原色の衣装をまとっての激しい踊りとマリアッチが良かった。

1973年3月12日(月)    バスに1時間乗ってテオティワカンのピラミッド見物。暑くてTシャツ1枚で歩く。夕方5時にメキシコシティーに戻る。夜は日本人と中華料理屋でラーメンとする。

1973年3月13日(火)    朝8時バスで出発。

1973年3月14日(水)    Santa Anaまで一日中バス。

1973年3月15日(木)    朝4時半ティワナ着。San Ysidroへは朝5時半着。バスを乗り継いでサンフランシスコへは22時半着。故郷へ戻ったような気がした。

1973年3月16日(金)    昼はF君と市内観光。夜、彼のバイト先(キャナリーのレストラン)で仕事を手伝う。

1973年3月17日(土)    昼ごろ起き出して映画を見てフィルムを現像する。

1973年3月18日(日)    F君のアパートの近くでタクシーをつかまえ値段交渉の上、空港まで。

1973年3月19日(月)    羽田に戻り、架空の人物を呼び出してもらうようF君宛にコレクトコールして無事の帰国を伝える。

ピラミッドの前で

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1972年世界一周旅行 (46) メキシコ旅行


サンフランシスコの日本料理屋の皿洗いで稼いだ資金でメキシコまで出かけることとしました。ただし、飛行機ではなく片道70時間近くかかるバスで。メキシコ・シィティーではアフガニスタンに続いて二回目の下痢。いずれも半熟卵が原因だったようです。以下は日記の要約です。

1973年3月2日(金)    22時15分発のバスでサンディエゴに向かう。首が痛くて良く寝られず。

1973年3月3日(土)    11時33分サンディエゴ着。バスを乗り換えてSan Ysidroへ。歩いて国境を越えてバスターミナルで昼食。16時にメキシコシティー行きのバスが出発。夜中の23時にメキシコ側の税関で荷物検査。袖の下を目の当たりにする。

1973年3月4日(日)    朝8時半に朝食。14時半にLos Machiosで昼飯。18時クリアカン、20時マサトラン。

1973年3月5日(月)    朝7時にグアダラハラで朝食。ハムエッグ、豆、コーヒー、ドーナツで20ドル。17時にメキシコシティー着。サンフランシスコから合計67時間のバスの旅が終わる。歩いて探したモンテカルロホテルはシングルで30ドル。シャワーを浴びて近くの中華で夕食。半熟の卵があたったのかホテルへ戻ると下痢。

1973年3月6日(火)    朝10時ごろホテルで日本人と会って一緒に朝食。暑い。宝石屋でオパールとトルコ石を買う。21時バスデポでオアハカ行きのバスに乗る。

バス券

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1972年世界一周旅行 (45) サンフランシスコ滞在


サンフランシスコでは美術学校留学中のF君のアパートに泊めてもらって、午前中は市営の英会話教室、夜はダウンタウンの日本料理屋で皿洗いといった毎日で、皿洗いを終えて時々は市電でFisherman's Wharfまで出かけて、そこの喫茶店で後片付けのアルバイトをしていたF君の手伝いをしたり、高校同級だったT君に教えてもらったHPの関数電卓を、両親から送金してもらって買ったことが懐かしい思い出です。

写真はFisherman's Wharfでの一コマで、右端の男性の胸にサインがありますが、今となっては誰だったのか記憶がありません。

忙しかったのか単調だったのか、1か月半で日記にはこれだけです。

1973年1月18日(木)    朝9時ごろサンフランシスコ着。タクシーでF君のアパートへ。友人のO君を紹介される。

1973年1月19日(金)    F君と、高校の同級でUCバークレー校に留学中のT君に会いに行く。

1973年1月20日(土)〜2月11日(日)    (記載無し)

1973年2月12日(月)    2月12日から3月1日まで松屋レストランで1時間2ドルの皿洗いを4時間。オーナーはインドネシア出身、奥さんは日本人の店だった。

1973年2月13日(火)〜3月1日(木)    (記載無し)

Fishermans Wharfにて

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1972年世界一周旅行 (44) 西海岸への旅


当時若者の間で流行っていた「1か月$99」の券を使って、グレイハウンド・バスで東海岸から西海岸へ移動。ヨーロッパで知り合った酒元君と落ち合って、彼の知人宅を転々としましたが、日記をつける時間はなかったようです。以下は日記の要約です。

1973年1月1日(月)    夕方ビルさんにボストンのバスターミナルまで送ってもらい、ニューヨークを目指す。

1973年1月2日(火)    朝3時に到着したものの行く場所もないので、バスでフィラデルフィアまで往復して時間をつぶし、ニューヨークでは美術館巡り。

1973年1月3日(水)    夜行バスで朝の3時にシカゴ着。生憎の雨でバスターミナルから出られず、9時間以上待ってバスに乗る。

1973年1月4日(木)    朝8時ごろCeder Rapidsに到着。バスで酒元がお世話になっているソーンさん宅の近くまで行く。家が分からないのでバーに入って電話したらタクシーで来いということになったが、近くにいた人が親切にも車で送ってくれる。地下室でプールを楽しむ。

1973年1月5日(金)〜17日(水)    (日記に記載無し)イリノイ州から以下のルートでサンフランシスコに到着。Ceder Rapids---Marion---Sioux City---Wray---Denver---Santa Fe---Grand Canyon(写真)---Las Vegas---San Francisco

Grand Canyon

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1972年世界一周旅行 (43) 米国へ


年末の忙しい時にボストン郊外に住むターナーさん宅に転がり込んで年内一杯逗留。着ているものがひどかったのでしょう、到着早々ショッピングセンターでセーター、ズボンなどを買っていただきました。

楽しくて忙しくて日記をつける暇がなかったようで、書かれているのは食べ物のことばかり。それから30年ほどして米国駐在中に両親とターナー家を訪れ、ご主人(ビルさん)のお墓参りができました。以下は日記の要約です。

1972年12月24日(日)    午前2時半にニューヨーク着。ホテル代が助かった。アメリカ人とタクシーでマンハッタンのバスターミナルへ(1人4ドル)。4時発のバスでボストンへ。ボストンのバスターミナルで時間をつぶして10時30分ごろビルさんに電話して迎えにきてもらう。クリスマスの前で子供たちはソワソワ状態。

1972年12月25日(月)    一日中子供たちのゲームの相手。七面鳥を生まれて初めて食べる。

1972年12月26日(火)    ターキーサラダサンドイッチ。

1972年12月27日(水)    Hilltop Steak Houseで1ポンドのサーロインステーキをご馳走になる。

1972年12月28日(木)    日本料理「大阪」レストランでご馳走になる。

1972年12月29日(金)    (記載無し)

1972年12月30日(土)    2時半からパーティー。

1972年12月31日(日)    (記載無し)

ビルさん家族と

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1972年世界一周旅行 (42) イギリスへ


最後にイギリスへ出かけました。パリへ戻って、12月23日に学生向けの安いフライトでニューヨークへ向かいます。以下は日記の要約です。

1972年12月1日(火)    夜中に船に乗り換え再び列車に乗り換え、朝9時にVictoria駅着。美術館を何か所か回ってYHに落ち着く。地下鉄の最低料金が5ペンス(35円)と高いと日記にはある。

1972年12月20日(水)    朝からテイト美術館へ。山田の泊まっているYHへ行ってラーメン。その後パリにもどる飛行機の予約。YHやホテルが一杯だったのか、女の子のアパートに1晩1ポンドで泊めてもらう。

1972年12月21日(木)    8時15分発のバスでAshford空港へ。霧で遅れたプロペラ機でパリ着。弟に頼まれた製図道具は高くて諦める。夕方雪がちらつき、寒波が来ているようだと日記にあり。

1972年12月22日(金)    昼過ぎに起きてルーブルへ。女の子から香水をプレゼントされる。少々買物をして最後の晩餐は「金泉」の中華料理。

1972年12月23日(土)    午前中女の子と会って、山田とワインで乾杯してバスで空港へ。チェックインに時間がかかり18時半出発の予定が21時近くなった。

バス乗車券

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1972年世界一周旅行 (41) 再びパリへ


スペインから列車でパリに戻りました。日記からは、毎日のようにいろいろな友人と会ったり食事をしたりしていたことがわかりますが、携帯電話もない時代にどうやって連絡したのだろうか不思議です。以下は日記の要約です。

1972年12月9日(土)    13時頃Pacifico(中華料理屋)で再び酢豚を食べる。パリまでの切符がなかなか手に入らず、夕食も同じPacifico。22時発の列車でスペインに別れを告げる。日記には「さらばマドリッド。さらばスペイン。そんな感じのするNorte駅だった」と感傷的な文章が。

1972年12月10日(日)    朝8時に国境で寝台列車を乗換え17時半ごろパリ着。ホテルバルコンは一杯で近くの安ホテルに落ち着く。「東方」なる中華料理屋で酢豚とご飯2杯。

1972年12月11日(月)    JALで世界史の本を受け取る。学生組織でニューヨーク行きの飛行機を予約する。12月23日18時発、ニューヨーク21時半着。ホテルのマダムが1週間いるなら(1泊30フランを)25フランにするというので、このホテルに滞在を決める。

1972年12月12日(火)    喉が痛み熱っぽい。友人たちが食料を買ってきてくれる。ありがたい。火曜日は多くの美術館が休みなので、明日から美術館巡りとする。

1972年12月13日(水)     JALに行くも例のマフラーは届かず。印象派美術館で女の子に出逢い、明日待ち合わせることとする。友人の一人のお別れパーティーあり。

1972年12月14日(木)    昼に女の子と待ち合わせてルーブルへ。どこにいるのか分からなくなるほど広かった。夕方中田君の家まで出かける。

1972年12月15日(金)    今日も女の子とブラブラする。ホテルにいたら山田が帰ってきて皆で肉野菜炒めで夕食。彼女を送って帰る。

1972年12月16日(土)    風邪が抜けず。山田と近代美術館へ出かける。

1972年12月17日(日)    体調悪し。ノミの市を散策。

1972年12月18日(月)    昼に女の子と待ち合わせてアンバリッド、ロダン博物館へ。22時Nord駅発のロンドン行きの列車に乗る。

コンコルド広場

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1972年世界一周旅行 (40) ポルトガル散策


スペインからポルトガルに入って3日間の旅を楽しみました。以下は日記の要約です。

1972年12月3日(日)    ノミの市へ出かけ14時頃「森の家」という安レストランで昼食。懐かしの酒元君に再会する。アトチャ駅22時30分発のリスボン行きの列車に乗る。

1972年12月4日(月)    リスボンは生憎の雨。電車でナザレへ向かう。白い壁とオレンジ色の屋根(写真)。ペンションを見つけて久しぶりに湯船につかる。

1972年12月5日(火)    昼まで寝る。近くのレストランでの昼食で食べ過ぎ、夕食を残してしまう。ケーブルカーで上の街までいってみるものの、土産物は高くて手が出ず。

1972年12月6日(水)    バスで鉄道駅まで行くがリスボン行きの14時まで列車はないとのことで、別の列車で少し先の街まで往復する。リスボン駅前で夕食後、マドリッド行きの列車に乗る。空いていたので横になれた。

1972年12月7日(木)    朝マドリッド着。YHに入ったら山田がポルトガルで買った煙草を列車に忘れてきたと言う。良く忘れる奴だ。午後プラド美術館、大学の学生食堂で夕食、雨の中をYHへ戻るとプロのギター弾きがいて夜中まで聞き惚れる。

1972年12月8日(金)    朝寝坊して12時の列車でトレドへ。グレコの家、教会などを見て、16時45分の列車でマドリッドへ戻り、山田に中華料理を奢ってもらう。24時からフラメンコ見物。4時半過ぎにYHへ帰って寝る。

ナザレ

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1972年世界一周旅行 (39) スペイン散策


イタリアから列車に乗ってスペインに入ったと記憶していたのですが、イタリア、オーストリア、ドイツ、スイスと回って11月末になってスペインにたどり着いたようです。初冬のヨーロッパらしく冬用のジャケットを着た写真が残っていました。以下は日記の要約です。

1972年11月29日(水)    バルセロナに朝到着。ピカソ美術館、聖家族教会、動物園と歩きまわって、アジのような魚のフライを食べる。22時35分の列車でマドリッドに向かう。

1972年11月30日(木)    朝アトチャ駅に到着。プラド美術館を見て食料を買い出して22時15分の列車でグラナダへ向かう。

1972年12月1日(金)    駅からYHへ直行し、昼飯を食べて、16時頃からアルハンブラ宮殿を見学。ピンポン球とワインを買ってYHで卓球と酒盛り。

1972年12月2日(土)    午前中再びアルハンブラ宮殿を見学。食料を買い出して列車でマドリッドへ向かう。22時過ぎにマドリッド着。夜中の1時過ぎにYHに入る。ペルー人の痴漢騒動あり。

マドリッドにて

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1972年世界一周旅行 (38) スイス他


忙しかったのか、旅に飽きてきたのか、日記には年月日だけ記載されています。移動距離が長いということは学生用のスチューデント・レイル・パスを利用したのかもしれません。スイスへは9月に続いて今回が二度目で、雪景色を見に行ったのでしょうね。以下は日記から。

1972年11月20日(月)    Muenchen
1972年11月21日(火)    Stuttgart
1972年11月22日(水)    Wiesbaden
1972年11月23日(木)    Duesseldorf
1972年11月24日(金)    Amsterdam
1972年11月25日(土)    Zurich
1972年11月26日(日)    Bern
1972年11月27日(月)    Grindelwald(写真)
1972年11月28日(火)    MilanoからBarcelonaへ移動。

グリンデルバルト

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1972年世界一周旅行 (37) 再びウィーンへ


ギリシャから戻ってイタリア巡り。ローマではYHに近いおなじみとなったMario's(写真)で毎晩食事をしたようです。安いながらも前菜、パスタ、肉料理、デザートと何時間もかけて食事をするのは、さすがイタリアです。

ウィーンの女の子に頼まれたスパゲッティを作る機械を持ってウィーンに戻りますが、作ると約束してくれたマフラーはできていなかったようで。以下は日記の要約です。

1972年11月14日(火)    朝食後にポンペイ見物。続いてナポリを歩いて夕方ローマへ。YHに入って行きつけのMario'sでカメラ販売記念として山田にフルコースを奢る。

1972年11月15日(水)   両親が送ってくれた本「私のヨーロッパ」を JALで受取る。ボルゲーゼ美術館訪問。雨の中、スペイン広場、ベネチア宮、トレビの泉と散策。夕方、山田たちと再びMario'sで食事。

1972年11月16日(木)    朝から市内見物で19時20分の列車でフィレンツェに23時着。目指した安ホテルが見つからず1,250リラのペンションに泊まる。

1972年11月17日(金)    ウフィツィ美術館、ピット美術館などを巡り、夕方、ベッキオ橋のたもとのセルフサービスの店で晩飯。

1972年11月18日(土)    駅で両替してウィーンの女の子用にスパゲッティを作る道具を買い、15時9分の列車に飛び乗ってウィーンへ向かう。

1972年11月19日(日)    ウィーンの朝は寒かった。スパゲッティの道具を女の子に渡すも、マフラーはできていないということで、パリに送ってもらうこととした。夕方、オペラ「売られた花嫁」を一緒に見て24時15分発の列車でMuenchenに向かう。

Marios

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1972年世界一周旅行 (36) 再びイタリアへ


アテネから引き返して海路イタリアへ渡りナポリなどを楽しみました。それにしても毎食パスタだったようで、若くなければできない旅です。以下は日記の要約です。

1972年11月11日(土)    第一回近代オリンピックが開催された競技場を見て14時過ぎの列車でパトラスへ向かう。船は22時にBrindisiに向けて出港。すぐにシャワーと洗濯。

1972年11月12日(日)    夕方Brindisiに着いて、ピザとスパゲッティを食べ、22時発のナポリ行きの列車に乗る。故障で電燈が消えず参った。

1972年11月13日(月)    朝7時にナポリ着。荷物を預けてカプリ島見物。ソレントへ戻って探した安ホテルで山田がお湯を使いきってしまってシャワーを浴びられず。

乗船券

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1972年世界一周旅行 (35) ギリシャへ


ウィーンからイタリア経由でギリシャへ。北欧で一緒だった酒元君とブリンディシという港街の駅の待合室でばったり出会い、彼とはその後スペインでも再会し、更には米国でお世話になるなど、現在も付き合いが続いています。以下は日記の要約です。

1972年11月7日(火)    7時40分にBrindisi着。駅で(Stockholmで一緒だった)酒元君に偶然再会する。酒元君を誘ってギリシャ行きの船に乗る。20時出港でリクライニングシート2つを占有して熟睡。

1972年11月8日(水)    鏡のような海を一路ギリシャへ。パトラス港に17時前に到着。高い(105ドラクマ)バスを見送って安い鉄道(43ドラクマ)でアテネに向かう。コリント運河を越えて22時過ぎにアテネ着。トロリーバスでYHに。

1972年11月9日(木)    3日連続車中泊で疲れたのかYHの管理人に起こされるまで寝ている。パルテノン見物後、JALへ行ったり日本人と話したりして21時半ごろYHに戻ると山田が到着していた。夜中までシシカバブとビール。

1972年11月10日(金)    シンタグマ広場のJALの前で山田と待ち合わせ博物館見学。

酒元君

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1972年世界一周旅行 (34) Wienを楽しむ


日記を見ると行った先々で日本人やら外国人の友人が出てきますが、今となっては顔を思い出すこともできません。その一人がウィーンで出会った女性。マフラーを編んでもらい、帰国後も何回か会う機会があったのですが、残念なことに名前も覚えていません。以下は日記の要約です。

1972年11月4日(土)    パリに似た街を歩いて国立博物館へ向かう。夕方オペラ座で並んでいたら日本人の女の子にマフラーを編んでもらうこととなり、そのお返しにイタリアでスパゲッティを作る道具を買うこととなる。写真は天井桟敷の立ち見席のチケットで、出し物はリゴレット。幕間のブユッフェで正装の紳士淑女に囲まれジーンズ姿として恥ずかしい思いをする。オペラが終わってから近くの喫茶店で持参したNikonの一眼レフを売る。

1972年11月5日(日)    昨夜の彼女から弁当(おにぎり4個、リンゴ、ピーナッツ、キュウリ、セロリ、割箸にハンカチ)をもらい12時30分発のローマ行きに乗る。途中ベニスで車輛の交換があり木の椅子となる。

1972年11月6日(月)    8時にローマ着。荷物を預けてバチカンへ。美術館などを見て、前に行ったレストランMario'sで昼食。夜21時38分発の列車で長靴の踵にあたるBrindisiへ向かう。

入場券

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1972年世界一周旅行 (33) Wienへ


旅の日記を見返しながら、よくもまぁこんなに歩きまわったものだと感じます。若いからこそできた旅だったんですね。以下は日記の要約です。

1972年10月31日(火)    郵便局で絵葉書を投函し列車を乗り継いでMuenchenへ。市電でYHに入り、近くのスーパーで食料を買い出し。夜はドイツ人の男女グループと話し込む。1日10マルクで旅行中とのこと。

1972年11月1日(水)    ドイツ博物館を目指すも休館ということでマリエン広場で市庁舎(写真)の人形を見る。夕飯にメンザ(大学食堂)に行ったが見つからず中央駅で栗とピザを食べてYHへ戻る。

1972年11月2日(木)    中央駅10時06分発の列車で13時40分Fuessenへ。バスでノイシュバンシュタイン城を見物。美しいところだった。バスと列車でWienに向かう。

1972年11月3日(金)    朝7時45分にWien着。1泊88シリングのホテル2泊分(176シリング)で200シリングを渡したら36シリングのお釣りで10シリング儲ける。昼寝中に部屋の水道から水が噴き出て主人に直してもらう。夜はスペイン乗馬学校の催しを見に行ったが、食事をしていて券が売り切れとなる。

ミュンヘン市庁舎

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1972年世界一周旅行 (32) Michaelと別れる


2012年10月から5か月ぶりのアップです。特に忙しい訳ではないのに、光陰矢のごとしといった感じでしょうか。

さて、一家で歓待してくれたMichael達と分かれて、ウィーン、イタリア、ギリシャと南欧を楽しむ旅が始まります。以下は日記の要約です。

1972年10月27日(金)    柄戸さんが出かけるので皆で早起きして山田はHaslachへ。小生は雑談したり本を読んだり。夕方近くのKoenichsHofへビールを飲みに出かける。

1972年10月28日(土)    柄戸さんのアパートを辞して山田とWiesbadenに向かう。Michael、Margid、Paulに大歓迎され、赤ワインをしこたま飲んで夜中2時に寝る。

1972年10月29日(日)    昼ごろ起き出して豪華な昼食をいただく(Michael宅では日曜日の晩飯を食べない習慣なので昼食が豪華)。夕方MargidとPaulが迎えに来て車で食事に出かける。

1972年10月30日(月)    Michaelの兄貴にMainz中央駅まで送ってもらって9時36分のWien行きに乗る。途中Wuerzburgで降りて、Cookの時刻表に無い路線経由で13時22分にRothenburg着。YH(写真の建物)で絵葉書11枚を書く。

YH

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1972年世界一周旅行 (31) 北欧から再びドイツへ


ストックホルムを楽しんで再びドイツに戻り、ハイデルベルグで日本人家族にお世話になり、最後はステュットガルトの柄戸さんのアパートに転がり込む。以下は日記の要約です。

1972年10月20日(金)    現地でできた日本人他の友人と映画を見たりダンスパーティーへ行ったりお茶を飲んだり、ゆっくりする。

1972年10月21日(土)    前日と同様の一日。

1972年10月22日(日)    昼まで寝ていて軽い昼食を取って駅へ。荷物を預けて食料の買い出し。列車が出発したのは21時。客が少ないので脚を伸ばして眠れた。

1972年10月23日(月)    コペンハーゲンに着いたのが朝6時半ごろ。余った金でチョコレートを2つ買う。15分待ちでハンブルグ行きに乗る。ハンブルグでハノーバー行きに乗り換えて2時間。ハノーバーから3時間弱でハーゲン着。乗り換えてアルテナへ。雨の中30分歩いてYHを見つける。

1972年10月24日(火)     アルテナ城を見物してから列車でハーゲン、更にケルンへ。以前泊まったYHに入るも、DM3.2も払った夕食がジャガイモ、チーズ、ハムとパンで寂しくなる。

1972年10月25日(水)    11時過ぎの列車でハイデルベルグ着は15時ごろ。先日歩いたライン川沿いの道を横目で見ながらあっという間の列車の旅。またまた30分ほど歩いてYHに入る。

1972年10月26日(木)    朝食後川口さん宅で荷物を預ってもらい、車でハイデルベルグ城まで送ってもらう。ワイン用の大きな樽(写真が入場券)を見たりワインを試飲したり、ネッカー川を渡って哲学の道を歩いたり、大学食堂で昼食を食べたりして、夕方再び川口さん宅で日本食をご馳走になる。21時23分発の列車でステュットガルト着が22時44分。柄戸さんの狭いアパートで4人で寝る。

大樽

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1972年世界一周旅行 (30) 北欧へ


ドイツを離れてベルギー、オランダ経由で北欧に向かいました。行った先々でいろいろな国からの旅人に出会い、酒を飲んだり、ボーリングをしたり、オペラを見たり。日記にはメインイベントしか残しておらず詳細は覚えていないのですが、人生を謳歌していたようです。以下は日記の要約です。

1972年10月14日(土)    ブラッセルから昼ごろの列車に3時間乗ってアムステルダムへ。YHが満員でYMCAへ。ただYHがFL3.5のところYMCAはFL8.75と高いので、明日はYHへ移ることを決める。

1972年10月15日(日)    朝から卓球をしていてYHが再び満員となる。仕方がないのでShelterなる安宿へ移る。午後は国立博物館でレンブラントを観賞。宿の毛布1枚が100円とのことで借りずに寝たら寒かった。

1972年10月16日(月)    一日中アムステルダム散策。運河、ノミの市、アンネの家。夜は「全勝」なる中華料理屋で500円の晩飯。

1972年10月17日(火)    朝から列車に乗って、コペンハーゲンでようやく食料を仕入れた。ソーセージ2本、パイ2個、パン2個。車中泊でストックホルムへ向かう途中、酒元と出会う。

1972年10月18日(水)    目が覚めたら雪景色。ストックホルムでの宿はSalvation Army(救世軍)とした。シーツ、タオル付き、シャワーありで1泊Kr 6。チェックインして酒元と街に出る。夕方はボーリング。

1972年10月19日(木)    一日街をブラブラして夕方オペラ「トルバドーレ」を見る。建物と舞台と俳優の演技の素晴らしさに感激。

オペラ入場券

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1972年世界一周旅行 (29) デュッセルドルフからパリへ


無事にStudent Rail Passが戻ったので、畏友山田君とパリに出て、そこから北欧方面を目指すこととしました。以下は日記の要約です。

10月11日(水)    夜中の2時発のパリ行きに乗ったものの満員で寝られず。途中駅で増結された客車に移って目が覚めたらパリであった。雨の中地下鉄を乗り継いでYHに入る。午後はノートルダム寺院見物、買い物など。

10月12日(木)    朝、山田がStudent Rail Pass(学生割引列車乗車券)が無いと騒ぐ。本当にドジな奴だ。地下鉄で昨日歩いた場所まで出ていろいろ考えたら、そのパスを挟んだパスポートを道端の屋台で売っていたパスポート入れに試しに入れてみたことを思い出し、その店を探してパスポート入れを覗いてみると、何とパスが見つかりました。その後コーヒーを飲んだり市内見物したり、山田は日本行きのチケットを入手する。

10月13日(金)    シャンゼリゼ通りにある学生沿組織でアメリカ行きの飛行機の情報を得る。$100両替して、ブリュッセル行きの列車に飛び乗る。YHで(アフガニスタンからトルコまで一緒に旅行した)を西沢ご夫妻と再会。

小便小僧

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1972年世界一周旅行 (28) ベルリンからデュッセルドルフへ


ベルリン見物の後はハノーバー経由デュッセルドルフへヒッチハイク。この道中と次なる訪問地パリで信じられないことが起きたのですが、いずれもハッピーエンドだったので幸いでした。

最初のできごとはベルリンからのヒッチハイクの帰り道、車を乗りつぐ際にインターチェンジで落としたライターを、再び車を乗りついで戻って見つけることができたという事件。二つ目はパリで、高額な鉄道割引乗車券を一旦は無くしたものの、翌日見つけることができたという事件。さて、どんな状況だったのか。以下は日記の要約です。

10月8日(日)    再び朝からボーリング。ボーリング場はチーム対抗戦でにぎわっていた。ピザとビールの昼食後、早速ヒッチハイク。ルノーが止まってくれて3時間でハノーバーに到着。バスとSバーン(市電)を乗り継いでYHに転がり込む。

10月9日(月)    朝からインターチェンジ入口でヒッチハイク。ようやく11時になってぼろいトラックが止まってくれる。何台か乗り継いだところで山田がノートとライターが見つからないと騒ぎ出し、彼だけ引き返して探すこととする。その後小生はVWバス、VW、アウディ、VWと乗り継いでデュッセルドルフの中央駅で降ろしてもらう。山中さん宅にたどり着いて、山中さんと夜中の2時まで飲んでいたが、山田先生現れず。

10月10日(火)    朝起きたら山田が寝ていて、どうしたんだと聞くと、夜中の2時半ごろ戻ってきたのだが呼び鈴を押すのは申し訳ないと玄関前で横になっていたら、隣のドイツ人に見つかって、山中さんの奥様に連絡があったらしい。買い物をして日本食をご馳走になって夜中の12時頃市電で中央駅に向かう。

ハノーバーYH

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1972年世界一周旅行 (27) ベルリン見物


ベルリンではパスポートの渡航禁止条項を日本領事館で書き換えてもらって東ベルリンに入りました(当時は東ドイツ、北朝鮮、北ベトナムが渡航禁止となっていました)。1989年に至っても状況は変わらず、強制的に東ドイツ通貨に両替させられ入国したものです。

東西ベルリンをまたぐ地下鉄では、東ベルリン内の駅には止まらず(写真の路線図で略中央の×印が東ベルリン内の駅)、機関銃を持った兵士が常駐する薄暗いプラットフォームを眺め、現実の厳しさを味わいました。以下は日記の要約です。

10月5日(木)    前日のYHが今日は満員とのことで地下鉄でInformationへ。地下鉄の4日間券を買って、東Berlinへ渡るために日本領事館でパスポートに追記してもらい、夕方はボーリング3ゲーム。ボーリング場はガラガラだった。

10月6日(金)    山田は挿し歯が抜けて歯医者へ。小生は地下鉄でシャロッテンブルグ城へ。昼、山田と落ち合って大学食堂で昼食。留学中の池田さんの痛快な話を聞く。

10月7日(土)    朝食後にZoo駅の銀行で東ドイツマルクに両替しSバーン(市内電車)で東ベルリンの入口であるフリードリッヒ通り駅へ。DM5を強制両替させられ、ブランデンブルグ門、テレビ塔、博物館などを見物。東ベルリンでは何を食べても不味かった。

東ベルリン

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1972年世界一周旅行 (26) ベルリンへヒッチハイク


ケルンからデュッセルドルフにヒッチハイクし知人の中山さん宅に転げこむ。大歓迎の後、ヒッチハイクで500km離れたベルリンに向かう。バックパックに日の丸を付けてはあったものの、写真のような怪しげな風体で良く乗せてもらえたものです。以下は日記の要約です。

10月2日(月)    KoelnからDuesseldorfまでヒッチハイク。12時半ごろ山中さんのお宅にお邪魔する。早速昼食をいただき、毎日新聞を見せていただく。田中首相が北京訪問中であることを知る。夕食はビールと日本酒に冷ややっこ、海苔、サラダ、みそ汁と大歓迎される。長男の芳彦君の部屋で山田と3人で寝る。

10月3日(火)    新聞の日中国交回復の記事を読む。昼過ぎにJan-Wellen広場までレインコートを買いに出かけるが結局なにも買わずに帰る。夜は手紙を書く。

10月4日(水)    Berlinまでのヒッチハイクの日。7時半に朝食をいただき、お弁当まで作っていただいて8時半に山中さん宅を出発。国道1号線でFiatが止まってくれてから、ルノー、ワーゲン、ルノー、ワーゲン、BMW、アメ車、ワーゲン、ワーゲンと合計9台に拾ってもらって西BerlinのYHに入ったのが午後10時15分。

ヒッチハイク

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1972年世界一周旅行 (25) ケルン市内見物


ケルンでは数日を市内観光にあて、YHでは自炊の毎日でした。以下は日記の要約です。

9月28日(木)    メッセ会場で10月1日までPhotokina(映像機器見本市)が開催中ということでDM3払って見物(写真ご参照)。日本製品とRollei、Hasselbladが客を集めていた。歩き回って疲れてYHで自炊。イギリスの女の子も参加してローストポークを堪能する。

9月29日(金)    午前中はドーム(Dom)見物。高さ157mの石塔の頂上で昼の鐘の音に震える。午後は大学の食堂へ。待ち人来らずで、校庭で子供たちとサッカーに興じて、再びクタクタになってYHで野菜炒め、ラーメン、ご飯と魚の缶詰の夕食。山田の彼女の誕生日ということで二人でYH前の店でワインを飲む。

9月30日(土)    Duesseldorfの山中さんのお宅にお邪魔するのは週末でない方が良いのではと迷って、この週末はKoeln見物とする。午前中街歩き、午後は昼寝、夕食は自炊でラーメン、卵焼き、野菜炒めと相変わらず。

10月1日(日)    ライン川沿いの公園を歩いて、Dom周辺の商店街をブラブラして、夕方例の映画を見る。Domのステンドグラスに感激して、YHで自炊。

見本市会場

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1972年世界一周旅行 (24) ライン川を歩く その2


ミヒャエルたちの悪戯から解放されて再びライン川沿いを歩いて目的地コブレンツに到着。日本を出る前からの計画だったので、達成感がありました。コブレンツからは歩きはやめてケルンまでヒッチハイク。以下は日記の要約です。

9月25日(月)    朝9時にSt.GoarのYH発。途中雨に降られ仕方なく道路下の通路にもぐりこんで雨宿り。BoppardのYHに午後4時着。

9月26日(火)    YHが寒かったので朝食抜きでチェックアウトして駅のベンチで朝食。昼の船で対岸のNiederlahnsteinへ。そこからまた歩いて、山の上にあるKoblenzのYHに着いたのは4時。チェックインして山を下りて町で買い出したものの、台所はないとのことで、買ったひき肉と卵を冷蔵庫に入れさせてもらう。ここもヒーター無しで寒い。

9月27日(水)    歩きは昨日で完了したので、9時にチェックアウトしてヒッチハイクと考えたが、雨の中、車はなかなか止まらず。昼前になってやっとOpelが止まってくれて、Koelnの中央駅まで送ってもらう。YHでは昨日の食材を使って野菜炒め、卵焼き、ピラフ、澄まし汁、キャベツの塩もみと満腹になって寝た。

ライン川を船で渡る

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1972年世界一周旅行 (23) ライン川を歩く


友人ミヒャエルと家族にお世話になった後は、ライン川沿いをコブレンツまで約100km歩くこととなり、マインツを出発。どんな旅になりますか。以下は日記の要約です。

9月21日(木)    MainzのYHを出て町の中心まで歩いてDomを見て、子供に案内されてAutobahn入口へ。車が止まってくれず仕方なく駅まで戻って夕食をとって20時ごろBingenに向けて歩き出す。午前2時に大型トラックが止まりBingen郊外まで乗せてくれる。駅方面を目指したが良く分からず、山田は電話ボックス、小生は隣のベンチで寝ていたらパトカーが来て説教された上、鉄道駅の場所を教えてもらい朝5時からそこで寝る。

9月22日(金)    9時ごろ駅で食事をして船でライン川を渡りRudesheimへ。丘の上のYH(写真はYH前でワインを飲む)にチェックイン。団体がいて地下室で寝かされる。

9月23日(土)    YHを出て坂を下りライン川沿いの道を歩く。目の前に城、崖の上にはホテル風の建物、カヌーが川を下る。美しいところ。Lorch経由BacharachのYHに到着し夕食をとってベッドでゴロゴロしていたら突然Michael、Paul、Margidが現れ、これからWiesbadenに戻ろうという。2日かけて歩いた道を1時間で戻って、Margidのアパートでワインを痛飲。

9月24日(日)    昼まで寝て食事をご馳走になって皆でローレライまでドライブ。その後St.GoarのYHまで送ってもらい、Michael他と別れる。

リューデスハイム

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1972年世界一周旅行 (22) ミヒャエルに出会う


1972年以来いまだにやり取りをしているドイツの友人ミヒャエルとご家族に出会いました。皆若くやりたい放題の毎日。今となっては貴重な思い出です。最後にミヒャエルと会ったのは2006年ワールドカップで沸くビースバーデン。義母の面倒を見ながら大きなマンションのオーナー兼管理人の悠々自適の生活でした。以下は日記の要約です。

9月16日(土)    Heidelbergから電車でWiesbadenに移動、友人のMichaelに駅まで迎えに来てもらう。夕飯はMichaelの姉のMargidのアパートですき焼き。レコードを聞いたり、ギターで歌を歌ったり、夜遅く戻ってMichaelの部屋に4人で寝る。

9月17日(日)    昼ごろ起きてビートルに7人乗りでFrauensteinのレストランでシュニッツェルで昼食。帰りに定員オーバーで警察につかまり罰金DM10。3人降りて1時間ほど歩いた所でMargidとボーイフレンドのPaulが迎えにきてくれた。ライン川沿いのレストランでコーヒー。

9月18日(月)    Michaelの車でWisbaden中央駅へ。柄戸、中根両氏は電車でStuttgartへ山田と小生は30分ほど歩いてAutobahn入口へ。Simcaが止まってくれて親切にもFrankfurtのYHまで送っていただく。食堂がセルフサービスで好きなものを食べられて幸せ。シャワーは6分間で60ペニヒ。

9月19日(火)    YHでブラブラと昼寝。夕方ストックホルムの日本人富原氏と飲む。

9月20日(水)    朝Kaufhof(スーパー)で買い出してAutobahn入口まで歩いてヒッチハイクの準備。今度はVWが止まってくれてMainzのYHまで送ってくれる。夜はピラフを作ってベルギーから来た女の子にご馳走しMikado(ゲーム)で遊ぶ。

ミヒャエルと

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1972年世界一周旅行 (21) ステュットガルト郊外で遊ぶ


先輩の留学先大学の職員経由で農家を紹介され、山田がお世話になりつつ農業体験をしているということで、そこに向かう。記念に庭に5円玉を入れた瓶を埋めたり、ご馳走になったり、学生時代でなければできない体験でした。以下は日記の要約です。

9月12日(火)    大学の村松先生に駅前のホテルでお目にかかり、紅茶をご馳走になり帰りにウィスキー12年物をいただく。山田が農業体験をしたいとお世話になっているHaslachにバスで向かう。大学職員だったシュールさんや農家のヘスさんに食事やワインを2時過ぎまでご馳走になる。

9月13日(水)    シュールさんの居間で起きたのが9時半。ハスさんの庭に5円玉を記念に埋める。夕方柄戸さんのアパートに戻って連日の酒盛り。

9月14日(木)    使わなくなった荷物を送ろうと小生は6.5kgの小包。フィルムも入れた。今日もまた大学生協の地下でビールになり、二日酔いの小生はアップルザフト。夜食はインスタントラーメン。

9月15日(金)    朝通便曲に小包を持っていくが山田の小包が10kgオーバーでやり直し。14時ごろの電車でハイデルベルグへ。鈴木さんのお宅に伺って田舎寿司、おしんこ、おすいもの、海苔と日本食を堪能し、23時過ぎに近くのペンションへ。

シュールさんご夫妻と

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1972年世界一周旅行 (20) スイスからドイツに戻る


グリンデルバルトからクライネシャエイデックまで歩いた翌日はアイガー北壁直下の雪渓まで登ってビールで乾杯。翌日山を下りてSt.Gallen泊。次の日にStuttgartの先輩のアパートに戻る。以下は日記の要約です。

9月9日(土)    ビールを買い出し牧草地や道のない林などを直登してアイガー北壁下の雪渓まで登る(写真)。ビールを冷やしスープを作ってパンで昼食。15時過ぎに下り始め、雨の中クタクタになってYHにもどる。雪渓の泥で直径1m位の丸を書いたが、YHからでは遠過ぎて良く見えず。

9月10日(日)    朝10時にYHを出てインターラーケン、ベルンを経て16時ごろSt.Gallenへ。Zermattで一緒だった日本人はヒッチハイクでここまで来たとのこと。YHでは日曜の夕食は無いということで、この日本人と食堂でパンと紅茶。

9月11日(月)    St.GallenからWinterthur、Schaffhausen経由夕方Stuttgart到着。柄戸さんのアパートには「寮でテレビを見ている」との張り紙。寮でオリンピックの閉会式を見て、近くのスナックでワインやグラシュスープ。パリに向かう香港の友人を駅で見送り、1時ごろアパートに戻る。

雪渓を歩く

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1972年世界一周旅行 (19) グリンデルバルトを楽しむ


アイガー直下のグリンデルバルトは山々に囲まれた谷間に広がる街で、どこへ出かけるにも登山電車のお世話になります。ただ、(スイス国鉄割引切符が使えない)登山電車の料金が貧乏学生には高すぎるので、もっぱら足を使った観光となりました。以下は日記の要約です。

9月5日(火)    9:45の船に乗ろうとYHから25分歩いて船着き場へ。9:30の船でジュネーブへ向かう。YHに入って、夕方すり減ってきた靴を買いかえる。SF25也。

9月6日(水)    10:40発ミュンヘン行き列車でチューリッヒへ。街を少し見てバーデンまで再び列車。ジュネーブで買った醤油(SF2)とバーデン駅近くで買った「すきやき」の材料を使ってYHで盛大な夕食。

9月7日(木)    バーデンの街でズボンとセーターを買う。バーデン、ベルン、インターラーケンと電車を乗り継ぎグリンデルバルトへ。坂の上にあるYHの夕食は日本人グループと割勘でピラフ。1人SF1.7也。

9月8日(金)    クライネシャイデックまで歩いて登ることにする。3時間半でクライネシャイデック。素晴らしい眺め。金がなくユングフラウヨッホまでの電車には乗れず、別ルートを歩いてグリンデルバルトまで歩いて下る。駅前で買い出しをして夕食は野菜炒め、トマトサラダとおすまし。

クライネシャイデック付近

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1972年世界一周旅行 (18) ツェルマットからグリンデルバルトへ


スイス国鉄割引切符を使ってのスイス旅行が始まりました。ローマからの夜行列車が到着したVispでツェルマット行きに乗り換え。マッターホーンを臨むツェルマットは自動車の乗り入れが禁止された美しい街。そこのYHに泊って夏スキーを楽しみました。以下は日記の要約です。

9月1日(金)    夜行列車はVispに10時ごろ到着。10:20発のZermatt行きの乗って11:40着。YHに荷物を置いて昼食に出かけるが休みのところが多くパン、バター、サラミなどを買い出して昼食。1泊2食付でSF10.2。夕食は魚のフライ、スープ、サラダ。明日のスキーセットを予約する。

9月2日(土)    快晴。6時に起き8:20のロープウェーでマッターホルンへ。ロープウェー3本、Tバーリフト3本でプラトーローザに到着。昨晩の新雪が10cm程積もった最高の雪質。この日はYHの8セットのスキー全てを日本人が借りたようだ。夕食はスパゲッティ。スキーセットSF10/日、リフトSF25/日。

9月3日(日)    朝からの雨の中再びスキー。上は雪だったが寒くて早々と引き上げる。プラトーローザで3,300m、ゲレンデ上部で3,500m、動くと息苦しくなる。

9月4日(月)    登山鉄道でのゴルナグラード往復がSF25と高かったので諦めて10:45 Visp行きの電車でZermattを離れる。12:05 Visp着、12:45発でローザンヌへ。ローザンヌに15:00着、バスでYHへ向かう。YHでは卓球。

ツェルマット

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1972年世界一周旅行 (17) ローマからツェルマットへ


ローマでは市内のYHに泊り、近くのMario'sという安レストランに毎日のように通いました。さすがイタリア、安レストランとはいえ前菜、パスタ、メインディッシュ、デザートと出て、時間はかかるものの食事を楽しめました。以下は日記の要約です。

8月29日(火)    YHの日本人が喉が痛いというので薬局で薬を買う。デパートなどで買い物をして夕食はMario'sでスパゲッティ・ミラネーズ、ビーフカツ、レモネードで300円少々。

8月30日(水)    朝からコロッセオなどローマの名所巡り。学生IDカードを見せると入場料無料なのが助かった。再びMrio'sで夕食。YHでテレビを見ていたら競泳男子100mで田口が優勝、体操男子平行棒でも1位から3位を独占していた。

8月31日(木)    スイスVisp行きの列車が22:40発ということで、バスに1時間乗ってチボリ公園へ。夕方3日連続のMario'sで夕食。21時ごろ駅に行ったらZurichに向かう日本人学生と会う。

Marios

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1972年世界一周旅行 (16) ドイツからローマへ


旅先と自宅との連絡に高額な国際電話を使うことはできないので、手紙を大使館やJALの事務所に送ってもらう方法が当時の学生のやり方でした。

スイス旅行用のスイス国鉄割引切符をローマのJAL事務所に送られてしまったので、それを取りに列車でローマまで出かけるという、余りある時間を使ったのんびりした旅でしたね。以下は日記の要約です。

8月25日(金)    山田がスイスホリデイパスをローマのJALに送ってしまった(?)とのことで列車でローマに向かうこととする(DM84.5)。柄戸さんに食事と酒をおごってもらい、赤線見学。

8月26日(土)    柄戸さんと山田はシュバルツバルトへ、小生は15:08発の列車でローマへ。

8月27日(日)    09:30ローマ着。YHに入る。日本人4人と駅まで夕食に出かける。

8月28日(月)    朝JALへ手紙を取りに行く。そこで小川君が心臓手術中に亡くなったことを知る。オリンピックの体操男子団体で日本が優勝。

柄戸さんのアパート前

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1972年世界一周旅行 (15) トルコからドイツへ


7月6日に日本を出てタイ、ネパール、インド、アフガニスタン、イラン、トルコと歩いて、いよいよ学生列車で西ドイツに向かいます。友人山田の先輩柄戸さんがStuttgartに留学中で、彼のアパートに泊らせてもらうことになりました。以下は日記の要約です。

8月22日(火)    シルケチ駅でミュンヘン行き学生列車の切符を買う(写真、400リラ)。18:00吉田さんに見送られながら列車は出発。駅で岩崎さん(外語大)に会う。車中の夕食は吉田さんのおにぎりと缶詰。

8月23日(水)    列車はトルコ、ブルガリア、ユーゴスラビア、オーストリアと走る。ブルガリア入国では通過ビザ代を払わされる($4)。ユーゴの国境で米国人のハッシッシが見つかったらしく、列車には戻らず。

8月24日(木)    朝7:00岩崎さんがオーストリアのVillachで下車、13:10ミュンヘンのHbf着。Stuttgartまでの切符を買い(DM25)、14:09ミュンヘン発16:50Stuttgart着。柄戸さんのアパートまで20分歩く。誰もおらず。ベトナム人にジュースをご馳走になり大学まで連れて行ってもらい、食堂で柄戸さんと山田に会う。   

切符

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1972年世界一周旅行 (14) イスタンブール


イスタンブールで我われ貧乏旅行者が泊るのは旧市街の安宿。バザールで持ち物を売ったり皮製品を買ったり市内観光したり、ガラタ橋で魚のフライを食べたり、興奮の毎日。中でも板前だった吉田氏が作ったワサビ抜きの寿司が一番の思い出です。以下は日記の要約です。

8月17日(木)  グランドバザールを歩く。85TLで時計を売る。朝ガラタ橋のたもとで買った鯖のバター焼きで夕食とする。

8月18日(金)  朝から寿司を作ろうということになり小生はタクシム広場まで歩いて見つけた中華料理店で醤油を譲ってもらう(25TL)。一緒にいた吉田氏(板前)が作ったのが以下のメニュー。鯵の押し寿司、タイの刺身とにぎり、鯖のオイル焼き、鯖の煮込み。1人あたり28TL。ワサビが手に入らないのが残念。

8月19日(土)  夜中に南京虫が出て寝られず。グランドバザールで山田用のアフガンコート(300TL)とサファリジャケット(420TL)を買う。西沢氏のカメラが$50で売れたのでご馳走してもらう。夜はベッドではなくシュラフで寝る。

8月20日(日)  昼まで寝ていて、午後もゴロゴロする。

8月21日(月)  グランドバザールでアフガンコートを$35で買う。鏑木さんと西沢氏は別ホテルに移る。

ガラタ橋

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1972年世界一周旅行 (13) トラブゾンからイスタンブールへ


トラブゾンを出航した船は黒海を西に進み2泊3日でイスタンブールに到着しました。当時トラブゾン発は週に2便、月曜日と金曜日。黒海からボスポラス海峡(写真)に入り暫く進むとイスタンブールで、モスクの尖塔やらガラタ橋の雑踏が見えてきます。

現在ではボスポラス海峡に2本の巨大な吊り橋がかかり、海底トンネルの工事も進んでいるとか。以下は日記の要約です。

8月15日(火)  朝Samsunに寄港。16:30ごろ寄港したSinopで食料を買い出す。魚のフライ10匹2.5TLで豪華な夕食を食堂でとる。

8月16日(水)  15時ごろにボスポラス海峡に入り16時ごろイスタンブール着。スルタナメットまでタクシー(20TL)で行くがGungorホテルが12.5TLと高かったので8TLの安ホテルに決める。

ボスポラス海峡

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1972年世界一周旅行 (12) トラブゾン


黒海沿岸の街トラブゾンを気にいった理由は、日本人としてホッとするようなその湿度のせいなのですが、人情あふれる人々や美味しい魚も懐かしい思い出。1972年、別行動であった弟達が数か月後偶然にもこの街を訪れ、我われ兄弟の話を聞いた両親が1977年夏の2か月をトラブゾンで過ごすなど、わが家にとっては大切な街となりました。

今年の夏に再訪したのは以上のようなことが理由でしたが、40年前に利用したイスタンブール行2泊3日の船もバスとの競争に敗れたのか今はなく、時間の流れを大いに感じた次第。当時の写真が見つからないので、今回訪れたボズテペの丘からのトラブゾンの町並みを掲載します。以下は日記の要約です。

8月12日(土)  朝ベッドで南京虫を発見。幸い刺されなかったものの、これ以降南京虫には悩まされる。牛肉を買ってきて(22TL)ステーキを作るが余り旨くなし。

8月13日(日)  食料の買い出し、食事作り、散歩、トランプで1日が終わる。

8月14日(月)  夜中に南京虫に刺される。食料を買い出し14時発の船に乗る。6人部屋が44TL、30人部屋が39TL、甲板が27TLだったが、どれにしたかは不明。船は黒海を岸に沿って走る。夜Girasunに寄港。岸壁でトーモロコシを1TLで買う。

ボズテペの丘

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1972年世界一周旅行 (11) テヘランからトルコへ


テヘランからトルコ東部の都市エルズルムまではバスで移動。続いてエルズルムから山脈を越えて黒海沿岸のトラブゾンまでバス。アフガニスタン、イランと踵にひび割れができるような乾燥地帯から黒海の水がもたらす湿潤な世界へ入りホッとした。以下は日記の要約です。

8月9日(水)  食料を買い出して夕方18時のバスに乗る。買い出したのはソーセージの缶詰50RL、魚の缶詰38RL、キウリ、パセリ、トマト、パン。車中でサンドイッチを作る。

8月10日(木)  朝10時にトルコ国境を越え、右手にアララット山を見つつ、19時にエルズルム着。運転手は26時間一度も代わらず。良く町のトラブゾン行きのバスの乗車券(写真)を買う。1人35リラ($1=13.75リラ、1リラ=22円)。

8月11日(金)  7時発のバスに乗りトラブゾンに13時着の予定が15時で、イスタンブール行きの船を逃し、来週月曜日まで待つことに。途中の山では雨が降っていて、それまでの乾燥地帯の旅から湿った世界に入ったことを感じた。7.5TLのHopa Hotelに決める。

乗車券

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1972年世界一周旅行 (10) テヘランへ


アフガニスタンからバスで到着したイランのマシャッドで1泊し、翌日テヘラン行の列車をつかまえる。テヘランからトルコのイスタンブール行の週一回運行の列車が売り切れとのことでバスで西に向かうこととする。以下は日記の要約です。

8月6日(日)  テヘラン行き21:30発の急行列車に買い出した食料と共に乗る。3等学割で330RL。デンマーク人2人と合計6人でコンパートメントを占有。椅子が木でできていてなかなか寝られず(写真ご参照)。

8月7日(月)  昼ごろ食堂車へ。14:30テヘラン着。早速イスタンブール行きの列車を探すも、運行は木曜だけ、2等学割が725RL。今週は売り切れとのことで、ベッドで60RLのバグダッドホテルに泊まる。

8月8日(火)  バスを探す。Mihan Tourなるバス会社の明晩のエルズルム行き700RLを予約。鏑木さんはサントゥなる弦楽器を買う。

テヘラン行の列車にて

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1972年世界一周旅行 (9) カブールからイランへ


カブールでは多くの日本人旅行者に出会って、毎日毎日飲んだり食べたりの生活で、欧州から来た人からは欧州情報をいただき、インド方面に旅する人には経験したことを伝え、カブールは旅行者の十字路のような場所でした。以下は日記の要約です。

7月24日(月)  福田夫妻と買い物。Dunhill1箱25AF(約100円)。ばら売りあり。

7月25日(火)〜8月2日(水)  (日本人旅行者とブラブラする)

8月3日(木)  朝6時のバスで鏑木、西沢夫妻とヘラートに向けて出発。バス代は200AF(約800円。以下の写真は乗車券)。途中でのパンク修理もあり、夜11時半にヘラート着。10AF(約40円)の床に寝る。

8月4日(金)  ホテルを替わり1日中トランプ。

8月5日(土)  ヘラートから60AF(約240円)のバスで国境を越えイランのタイバッドに14:30到着。途中の税関でビクビクする。TBT Hotelの床25RLに泊まる。夜はセブンブリッジ大会。

バス乗車券

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1972年世界一周旅行 (8) バーミヤン
 
バーミヤンの街道筋から数百メートルのところに聳える岩山に仏像が彫ってあり、2日目に泊った安ホテルの裏口から見上げるとこの写真のように見えます。以下は日記の要約です。

7月23日(日)  夜中寒さで寝られず、朝起きたら胃が痛い。体調優れず石仏見学も程ほどに帰路につく。14時ごろカブール着。福田夫妻のホテル(Yaman Hotel)は高い(200AF、約800円)のでシャワーを貸してもらってMusutafa泊。

仏像
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1972年世界一周旅行 (7) バンデアミール湖

バーミヤンから更に車で3時間のところにあるバンデアミール湖。乾燥地帯のため山には木がなく、その中に佇む湖の美しさには感激しました。バーミヤン一帯は今はタリバンが跋扈する地域になっているのでしょうね。以下は日記の要約です。

7月22日(土)  ホテルを出てBamyanの街で朝食、10時半にバンディアミール湖着。馬に乗ったりして16時半に出発、19時20分Bamyanに戻る。この日は床の絨毯に寝て5AF。街道沿いの安ホテルの裏はあの有名な石仏だった。

バンデアミール湖
 
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1972年世界一周旅行 (6) カブールからバーミヤンへ


カブールでは先に到着していた弟たちと再会し、また彼らのアフガニスタン北東部への探検旅行を見送り、小生はタクシーを雇ってアフガニスタン北西部のバーミヤンへ、後年タリバンによって破壊された仏像を見に行きました。

カブールからタクシーに8時間以上ゆられてバーミヤンに到着。ソ連製のボルガなる車は建てつけが悪く、全身埃まみれとなりました。写真はタクシーの前を走るバス。

当時のレートは1$が308円、アフガニスタンの通貨アフガニー(AF)では約80AFだったので、1AFは約4円。以下は日記の要約です。

7月20日(木)  Delhiから一緒だった福田夫妻と街歩き。カイバルレストランでオレンジジュース6AF。弟たちとオールドバザールへ行きそこで両替。夜は久米さん宅で日本食をいただく。Mustafa Hotelのドーミトリーは1泊25AF。

7月21日(金)  朝やってきたタクシーの運転手が英語を話せないので別なタクシーを捜す。Bamyan往復で4500AF。福田夫妻と3人乗り。車はボルガ。隙間から土ぼこりが吹き込む。朝7時半に出発、15時半Bamyan着。泊まったBamyan Hotelは高級ホテルで夕食99AF、コーラ50AF、ビール80AF。高台にあり遠くに石仏を見る。

小旅行

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1972年世界一周旅行 (5) インドからアフガニスタンへ


パトナで冷房もないホテルに1泊し(貧乏旅行だったので旅行中に冷房のきいた部屋にとまったことはなかったと記憶します)、翌朝8時発のニューデリー行き列車に乗る。乗客と仲良くトランプをしながら翌朝6時半にニューデリー着。ニューデリーで1泊後、暑いインドからアフガニスタンに到着した時の涼しさは忘れられません。以下は日記の要約。

7月17日(月)  駅でバナナとコーラを買って乗車。近くの人と仲良くなりトランプに興じる(セブンブリッジを教えた)。2段ベッドの上。夕食は車掌にチキンライスを頼む。

7月18日(火)  朝6時半にDelhi駅着。JALオフィスに寄る(手紙を受け取りに行ったのか)。暑い。Sunny Guest House泊。夜は中華のようだ。

7月19日(水)  暑くて朝5時半に目覚める。三輪車で空港へ。16時発の飛行機が離陸したのは17時半。途中ラホールへ寄ってカブール着は夜9時(インド時間)。高度1800mの涼しさに驚く。30AF払ってバスで街の中心へ。Mustafa Hotelにチェックイン。

カブールのホテル

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1972年世界一周旅行 (4) カトマンズからパトナへ


カトマンズで楽しんだ後、プロペラ機でインドのパトナへ。パトナからニューデリーへの列車が翌朝とのことで市内の安ホテルに泊まる。以下は日記の要約。

7月16日(日)  朝7時50分起床、タクシーで空港へ。友人が一人見送りに来てくれた。45分のフライトでパトナ空港に1時着。タクシーで鉄道駅へ行くも、現金が無く、両替であちこち歩き回る。駅で出会った英国人に3等はやめろと言われ翌朝8時発のDelhi Expressの2等寝台の切符を入手。空港のInfoでもらった名刺のHotel Daichi泊。新橋の第一ホテルで修業したので、この名前にしたとのホテルマン説明。

ホテルの名刺

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1972年世界一周旅行 (3) カトマンズ


ネパールのカトマンズで滞在した Hotel Lali Gras では経営者の息子と仲良くなり、彼の誕生パーティー出席のためにビザ延長し合計で9日間滞在しました。以下は日記の要約です。

7月9日(日)  Swayambhu(通称モンキー・テンプル。猿が多い)に出かける。National Museumも見学し、市内でLidoなる中華料理屋を見つけ、チョーメンとオレンジジュース。食べものが口に合わず、暫くは中華かサンドイッチとジュース類のみ。

7月10日(月)  自転車を借りてPatan見物。ホテルの息子、従業員、彼らの友人たちと知り合い、ビールを飲んだり、食事をしたり、踊ったり。ネパール滞在を伸ばそうと考えている。

7月11日(火)  金曜日にホテルの息子の22歳の誕生日があるとのことで、パトナ行きの予約を変更する。日記には「ネパールの野菜は皆小さい」とある。風をひいたので薬を飲む。

7月12日(水)  朝から体がだるく薬を飲み、夕方まで眠る。

7月13日(木)  薬を飲んでホテルでブラブラ。明日の誕生パーティーの飾り付けが始まる。

7月14日(金)  New Roadで両替。子供に付きまとわれ、いろいろとご馳走する。19時に誕生パーティー始まる。英語で苦労する。1時まで騒ぐ。

7月15日(土)  友人の一人が日本人の彼女に会いに日本に行くというので空港まで見送る。

仲間

| すうさん | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1972年世界一周旅行 (2) バンコック、そしてネパールへ


日記とアルバムからピックアップした情報を順次掲載しますが、デジカメで接写した写真なので画質はご容赦ください。以下は日記の要約です。

1972年7月6日(木)  9:25羽田発TG601便にて弟と弟の友人達と出発。伊丹、台北、香港と寄ってバンコックのホテルに入ったのが18時過ぎ。

7月7日(金)  弟たちは一足先にアフガニスタンに向けて出発。空港から電話があり友人の一人がカメラを盗まれたと。バンコック市内見物。

7月8日(土)  8時15分発のDC-8でカルカッタ経由カトマンズに昼前に到着。空港の客引きに声をかけられHotel Lali Gras(赤い花の意。ネパールの国花)に決める。東京のネパール大使館の職員に頼まれた小包をカトマンズ市内の宛先に届ける。夕方シャワーを浴びようと思ったら蚊の大群で中止。シャワーは昼に限る。バンコックと同様カトマンズ市内はニンニクの臭いで一杯。インド航空でパトナ行きを$11で購入。

バンコックへ

| すうさん | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1972年世界一周旅行 (1) はじまりはじまり


トルコでの結婚披露宴に出席する話が進んでいて、訪問する街の情報を確認しようと若かりし頃の旅行日記やアルバムをひっくり返していたら面白い資料や写真が出てきたので、順次ご披露しようと思い立ちました。

当時深夜の地下鉄工事の現場仕事で貰えたのが1万円。横浜港の検数員は楽な仕事にも拘わらず同じ1万円。これでためた資金と両親からの援助の合計約70万円をトラベラーズチェックに替え、中近東での旅情報満載の「おまえも来るか! 中近東」を握り締め、1972年、ミュンヘンオリンピックの年、7月6日(木)格安のタイ国際航空で羽田を離れました。

翌1973年3月19日に帰国するまでの257日間世界一周旅行の旅先での日記の要約と帰国後に整理したアルバム全5冊から接写した写真を、気の向くままにボチボチとアップします。

日記と写真

| すうさん | 08:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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