三日目は会津若松駅を7時36分発の磐越西線で郡山に向かい、東北本線、水郡線、常磐線、水戸線、両毛線と乗り継いで高崎に至り、最後は湘南新宿ラインで横浜に着いたのが19時38分。営業キロ約508kmでした。
この三日間の感想は?と問われれば「可もなく不可もなし」でしょうか。何かを見てみたいといった目的があれば列車に乗る楽しみもありますが、ただ単に乗るというのは小生にとって、それほど楽しいことではありませんでした。訪れた先々についての勉強不足が理由だったかもしれませんが。特に、水戸線、両毛線といった平地をただ走る列車は全く楽しくないですね。高校生がうるさいし。
さて、旅の目的の一つに「思い出を再確認すること」があげられると思いますが、今回は信濃平スキー場の思い出に触れることができました。
飯山線信濃平駅近くのこのスキー場へは、学生時代に少なくとも10回は通ったはずですが、どんなふうにしてそこまで行ったのか思い出せません。上野から夜行列車で長野まで行って、飯山線で信濃平というのが一般的だったと思うのですが、当時は列車に乗るということに興味を持っていなかったのでしょう。
スキー場はといえば、スキー客の減少から2001年に閉鎖されたそうで、列車からスキー場を探したところ、閉鎖後の10年でゲレンデは林に戻りつつあるようでした。当時お世話になった「鈴荘」という民宿はどうなったのかとネットで調べると「ヒュッテ鈴荘」が見つかり、夏を中心に営業しているのかもしれません。そうあって欲しいですね。
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二日目は昔の中央本線のルート、岡谷、辰野、塩尻と大回りして始まりました。続いて篠ノ井線、信越本線、飯山線、上越線、信越本線、磐越西線と乗り継ぎ、新津で調達したビールと氷結を飲み干して19時会津若松着。
辰野から塩尻まで乗ったのが写真のクモハ123形電車。70年代製造の荷物電車を改造した車輛が毎日辰野、塩尻往復専門に活躍している姿は、わが身を見るようでした。二日目の営業キロは約409km。
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5時47分横浜発、沼津、静岡、浜松と乗り継いで10時21分豊橋着。10時42分発の電車が初日の目的地である岡谷に着いたのが17時30分。飯田線は約200kmを7時間近くかける超鈍足ですが、殆どが単線で列車交換のための待時間が多いことと、駅が94もあることが理由でしょうか。
前半は深い谷川を見おろす緑の回廊と数多くのトンネル、後半は木曽山脈の山々を仰ぎ見ながら伊那平の縁を進むといった「山岳鉄道」は楽しかったのですが、途中駅で食料を調達することができず、朝4時半の朝食から18時過ぎの夕食までに口にしたのは、豊橋駅で買った助六寿司とお茶だけのひもじい一日でもありました。初日の営業キロ約470km。
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中山道歩きの往復で2枚使った青春18切符の残り3枚は子供に使われてしまったのですが、計画どおりに実行しようと、改めて3枚残りの切符を手に入れました。これがまた誤入鋏スタンプがあり3枚使ったように見えるのでドキドキしました。
ルートは未踏破路線を中心に飯田線、篠ノ井線、飯山線、磐越西線、水郡線、水戸線、両毛線と渋めの各線を3日間で大回りする予定で、まぁご理解いただけない方には、列車に乗るだけで何が楽しいんだろうと思われるでしょうが、実行させていただきます。
列車に乗っているだけなので、汗もかかず万歩計は1日1,500歩前後、ひたすらコンビニ食を食べるという、至って不健康な旅でもあります。
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