三ッ沢せせらぎ緑道


わが家近くの散歩道三ツ沢せせらぎ緑道にあった「せせらぎ」が埋め立てられてしまいました。タイル張りの「せせらぎ」で情緒はなかったのですが、ちょろちょろ流れる水があったからこその「せせらぎ緑道」。

「せせらぎ」の落ち葉掃除を業者が定期的にしていましたが、いかにもやる気がなさそうで、ゴミを植え込みの下に寄せて終わりといった様子でした。そんな業者に税金を使うのが勿体ないのだったら、市民の力を借りるとか、他に方法はあったはずです。周囲の住民に何も伝えずの今回の神奈川土木事務所の判断は、明らかに行政の手抜きと思います。

せせらぎ緑道

| すうさん | 08:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ツ沢商店街サービス通りの思い出 (12) 東9番と東10番の間の道


東9番の嶺岸商店と東10番の薬局の間には滝の川が流れていましたが、1985年頃に暗渠化され、そこが三ッ沢せせらぎ緑道として整備されました。

滝の川にはコンクリート製の今下橋がかかっていて、両親に抱かれて橋の上で撮った写真が残っています。嗚呼、昭和は遠くなりにけり。

緑道

| すうさん | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (8) ガーデン橋


最後はガーデン橋。ここが三ッ沢せせらぎ緑道の入り口です。昔の名前は鶴亀橋といって、寛永4年(1627年)と刻した擬宝珠(ぎぼし)が取り付けられた欄干が残っています。

昭和の初め、金持ちの私邸「横浜ガーデン」への資材運搬用の橋としてコンクリート製に架けかえられたそうです。

滝の川は写真左から右に流れていて、中央の坂を登った一帯は「ガーデン山」、左手前に少々進んだところは「ガーデン下」と呼ばれています。

新婚時代、右の小道を入った友人宅を借りて数か月間住んだことが思い出されます。あの頃は若かった...

ガーデン橋

| すうさん | 08:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (7) 島田橋


六番目は島田橋。滝の川はここで再び国道1号(横浜新道)と交差していました。

写真は滝の川の下流から上流の島田橋を望むもの。左右に走っているのが国道1号で、左が東横線反町駅方面、右に進めば横浜パイパスへ。

旧道はここ島田橋で国道1号を横切り、150mほど先で再び国道1号に合流。横浜駅と三ッ沢上町を結ぶボンネットバスが走っていて、門前橋近くの空き地で方向転換していました。

正面の白っぽいビルの1階にはそばの「やぶ」、2階は寿司の「浜」。滝の川の向い、旧道沿いには何と牧場があり、乳牛を飼っていました。

島田橋

| すうさん | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (6) 観音橋


五番目は観音橋。当時の悪ガキどもは「観音」という言葉が分からなかったからか「ドンドン橋」と呼んでいました。

写真は滝の川跡上流から観音橋跡を望むもので、橋の右手に観音寺があります。ここで川は大きく左に曲がり、その流れの影響か、川底の岩が深くえぐれていたことを思い出します。

三ッ沢せせらぎ緑道の維持管理は地元の業者が請け負っており、時々写真のような車で作業に来てはいますが、このオジサン達、全く力が入っておらず、ご覧のように背の低い植木は伸び放題。税金の無駄遣いをなくす仕組み、あるいは組織が必要ですね。

観音橋

| すうさん | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (5) 今下橋


四番目は今下橋。わが家近くにあったコンクリート製の橋で、横浜駅への抜け道にかかっていました。

写真は滝の川の上流を望むもので、左が沢渡(さわたり)から横浜駅方面、右に50mで国道1号(横浜新道)。

右手の建物は丸山豆腐店。この通り「サービス通り」にあった店の中で、薬局、クリーニング屋、中華そば屋、古本屋、米屋(のちに菓子屋)、乾物屋、銭湯、文房具・化粧品屋、靴屋、模型店、ケーキ屋、風呂桶屋、魚屋はすでに店仕舞いしてしまいました。

50年前は大きな建物も少なく夜は静まりかえっていたので、1.5kmほど離れた東横線反町駅のガードを通る電車の音や横浜港の汽笛の音が聞こえたものです。戦後当地に移り住んだ両親によれば、焼け跡の向こうに東横線のガードが見えたとのこと。何にもなかったんですね。

今下橋

| すうさん | 08:11 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (4) 無名橋


三番目の橋は無名橋。もちろん名前はついていたのでしょうが、小さな木造の橋でした。

写真では滝の川は左から右に流れ、前後にのびる細い道にこの橋がかかっていました。

わが家近くで川に入り、この橋までジャブジャブとさかのぼりながらザリガニ獲りをしたものです。その間、100m弱。

そうそう、台風の増水でこの橋が流され、下流の今下橋に引っかかり川をせき止めたことで洪水になったこともありました。

無名橋

| すうさん | 08:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (3) 門前橋


二つ目の橋は門前橋。写真の橋を右に渡って坂を登ったところに「豊顕寺(ぶげんじ)」があります。

現在の国道1号(横浜新道)は昔、豊顕寺道と呼ばれていたそうで、1700年ごろには学舎5棟、学寮25棟、学徒300人の盛況を極めた豊顕寺の僧侶が行き来した道だったのでしょう。

4月8日の花祭りには豊顕寺の門前にテントが並び、子供の頃、境内で甘茶をいただきましたが、最近はどうしているのでしょうか。

門前橋

| すうさん | 08:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (2) 上田橋


最初の橋は上田橋。この橋は滝の川が国道1号(横浜新道)を横切るところにかかっていた橋、のはずです。「はず」としたのは、横浜新道の工事が小生の幼稚園時代に始まったので、橋そのものを見た記憶がないから。

この橋の上流には「大池」という池があり、川魚の養殖をしていました。小学校の遠足で出かけた近くの野原でウサギを見かけることができた時代です。

写真は上田橋跡から上流を望むもの。横浜新道と新横浜通りの立体交差(三ッ沢上町交差点)の向こう側にかすかに見える緑は滝の川跡につくられた「あじさいロード」という遊歩道。

美しさと便利さとはなかなか両立せず、50年たつと景色もここまで変化するという見本のような場所です。

上田橋

| すうさん | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三ッ沢せせらぎ緑道 (1)


横浜市神奈川区に「三ッ沢せせらぎ緑道」と呼ばれる水と緑の散歩道があります。

このせせらぎ緑道は、横浜市営地下鉄工事に併せ、滝の川右支川(反町川)を暗渠化した跡に1988年につくられたもので、総延長は1,700m、道沿いに流れるせせらぎの総延長は970mです。滝の川は昔の神奈川宿の真ん中を流れ横浜港にそそぐ川で、現在も東海道線より下流部分は川として残っています。

滝の川のせせらぎ緑道部分にあった橋は、上流から、上田橋、門前橋、無名橋、今下橋、観音橋、島田橋、ガーデン橋(鶴亀橋)の7本で、川でザリガニを獲ったことなど、子供のころの川と橋にまつわる思い出を書き残そうと考えました。

案内板

| すうさん | 08:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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