最終回は「近代の村の誕生」と題して横浜開港記念館の松本さんの講義で、明治時代の文書を解説いただきました。
大規模な市町村合併は明治以降3回、初回は1889年(明治22年)、2回目は第二次世界大戦後、3回目は平成の大合併だそうで、特に初回の合併では、江戸時代のシステムの近代化も併せて実行され、戸籍管理、教育、徴兵などの国家委任事務が村の機能に組み込まれたとか。
そのような明治の合併の結果生まれたのが、今回使われた文書が書かれた大綱村(現在の横浜市港北区の綱島、菊名、東白楽あたり)。村長から上司である郡長宛ての報告書の中で興味をひいたのは「採氷業」なるビジネスの存在。寒い冬の間に池の氷を氷室で保管し、夏になると横浜の外国人居留地で販売したそうです。確かに「採氷者」の文字が見えます。
気象庁の情報では、1880年の年平均気温は13℃台ですが、それが最近では16℃台と約3℃ほど上昇しています。たった3℃なんですが、横浜も雪国のような気候だったんですね。
5回目は「江戸時代 東海道の事件」と題して公文書館の上田さんの講義。やや単調な説明で昼食後でもあり前半は眠くなりましたが、後半に地図の写真や「東海道分間延絵図」と呼ばれる江戸時代に書かれた街道の絵地図を使った説明があり、眠気も醒めました。
古文書の中身は、伊豆から出てきた旅人が生麦村で起こした騒動を詫びる村役人宛の供述書で、面白かったのは例の異体字。写真の上の文字は上に「木」、下に「公」の「枩」で「松」の異体字、下の文字が「屋」なので「松屋」、川崎宿の旅籠の名前です。
この他にも、偏が「火」、旁が「禾」で「秋」、偏が「羊」で旁が「良」で「養」という異体字も作られたそうで、昔の人々の頭の中をのぞいてみたいですね。
四回目は「博奕の社会史」と題して、神奈川大学の関口先生が江戸時代における賭博について説明くださいました。
古文書が難しいのは、漢字を漢字として読むということと、漢字を仮名として読むということの判断が必要なことで、写真は「免具利加類多」と書いて「めくりかるた」と読み、博奕の一つだそうです。
以前、川崎宿の芭蕉の句碑を取り上げたことがありましたが、このような変体仮名は(辞典を数え間違えていなければ)168字もあり、先ずはそれぞれの崩し方を覚えないことには、先に進めません。
三回目は「神奈川宿・飯盛女誘引事件」と題して、安永8年(1779年)に神奈川宿で作られた文書を資料に、駒澤大学の先生がくずし字について細かく説明くださいました。
内容としては、庄九郎という男が宿場街で働く飯盛女(遊女)と駆け落ちしたことに対して、庄九郎の主人他関係者が飯盛女を召抱える次郎右衛門という男に、金10両を支払うから訴訟を取り下げてくれと連名でしたためたもの。
文書に出てくる「台町」なる町名は現在も残っており、家から歩いて10分ほどの場所でもあるせいか、登場人物の息遣いを感じることができました。
ただ古文書で悩ましいのは「字が読めない」こと。写真は「台町」ですが、旧字体の「臺」ではなく異体字を崩したものだそうです。これではどう頑張っても読めません。
街や旅先で見かける石碑などに刻まれた文字を読めなくて悔しい思いをしているので、神奈川県立公文書館主催の「古文書解読入門講座」全6回を受講することにしました。定員140名のところに応募総数200名以上で、60名の方々が落選されたそうです。
第一回目は「くずし字入門」と称して、古文書(「こもんじょ」と読みます)を読むための基礎知識を教えていただき、神奈川県に伝わる江戸時代の文書を読みました。
先ずは文字が読めない、読めても意味不明(例えば「厄介人」と書かれても何のことやら分かりませんが、「居候」のことだそうです)、文書の背景となる文化についての知識がない(例えば宗門人別帳と呼ばれる戸籍が存在して、そこに記載されることで身分証明となった)等々、何重にも課題が立ちふさがっており、前途多難です。
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