動力ユニットを取付けた横浜市電の走行試験で上手く走ることを確認できました(走行中は単車の500型とボギー動力ユニット、中央は1000型)。単車とボギーで速度が違うことも分かりました。続いては車輛の艤装へ進みます。
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以前作った横浜市電史を表現した動画がPC用の横長画面だったので、これをスマホ縦長画面用に変えようと動画編集ソフトを探したところWindows11ではムービー・メーカーが見当たらず、どうも2017年に配布とサポートが中止されたようです。仕方なくネット記事を参考に「Power Director」なるソフトをインストールしました。
ソフトと数時間格闘した結果が以下の動画で、元ネタから地図を切り出した際の不手際で地図がカクカク動いてしまい、これも含めて以下が今後の課題でしょうかね。
- Power Directorの無料版ということで画面右下にロゴが表示されてしまう。もっと機能が少なくて構わないのでロゴが表示されないソフトを探すか、有料版に切り替えるか要検討。
- 年代別に地図を複数作って、それを手で切り貼りする方法には今回のような課題が残るので、検討中の「地図データから動画を自動的に作る仕組み」の実現が俟たれる。
- スマホで表示すると、途中から画質が低下してしまう。動画URL末尾に ?vq=medium と追加したら綺麗になったが、この方法で良いのか不安。
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庭の欅の上の方から鳥の鳴き声がするので、物干し竿の先端に小さなカメラを取付け、弟と一緒に動画撮影したところ、生まれて間もない雛3羽を見つけました。燐家のテレビ・アンテナに止まって我々を観察していた親鳥の気持ちを慮って撮影は手短に済ませましたが、防水カメラを巣の近くに設置して雛の成長を観察したいところです。雛達が無事に巣立てますように。
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日経土曜版で見つけた「一度は乗りたいローカル線」には以下の10路線名と写真が掲載されていて、乗り鉄としては見逃せない企画でした。中でも1位となった釧網本線は2022年10月に乗ったばかりで、他の路線の想い出もよみがえってきます。
下の動画は2016年7月の北海道散策の際に、釧網本線網走駅発の列車が東釧路駅に到着する様子を撮影したもので、JR路線完乗者としては「この10路線にもう一回乗りたい」と強く思った次第。きりがないと言えば、きりがないのですが。
1位:釧網本線(北海道、網走 - 東釧路)
2位:予土線(四国、北宇和島 - 若井)
3位:肥薩線(九州、八代 - 隼人)
4位:木次線(中国、宍道 - 備後落合)
5位:大湊線(東北、野辺地 - 大湊)
6位:釜石線(東北、花巻 - 釜石)
7位:小浜線(関西、敦賀 - 東舞鶴)
8位:米坂線(東北、米沢 - 坂町)
9位:花輪線(東北、好摩 - 大舘)
10位:津軽線(東北、青森 - 三厩)
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娘家族の二人の誕生日が3月ということで、わが家に集まって誕生パーティー。その内の一人、孫の「すずちゃん」、娘手作りの猫ケーキを前にして笑顔で始まったパーティーでしたが、夕食後のUNOで最下位となって涙、涙。60数年前の小生もこんなに純粋だったのだろうか。すずちゃん、4月からの3年生を楽しんでください。
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最終日は函館駅前からバスで函館空港、9:10発のAir DOで羽田へ戻って9日間の散策は無事に終了。JR北海道が保有する路線合計を遥かに超える3,000kmを乗り潰しました。乗り鉄としては元国鉄、JRの三セク鉄道制覇という課題が残っているため、次は四国、九州方面に出かけようかと、疲れたと言っている暇はありません。
さて、下の動画は八日目に乗った函館発長万部行きの列車が藤城支線(愛称)に進入する様子(同じ列車が大沼駅に到着する様子はこちら)。現在、藤城支線(愛称)を走る旅客列車は函館駅発5時49分、12時35分、17時35分の1日たったの3本。貴重な体験ができました。
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新潮社の「日本鉄道旅行地図帳1号北海道」に掲載されている鉄道路線の建設、廃止情報から年毎の地図画像を作り、それを動画にしたものです。このような地図を北海道全体、更には日本全体に広げたいのですが、どのような技術を組み合わせればできるのか、勉強しなくては。
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今年正月明けの中部、関西散策の動画を半年遅れでアップしました。下は明智鉄道の恵那駅を出発する動画で、続いて以下の動画もご覧いただけます。
なお、前日に起きた踏切事故のため郡上八幡駅から終点北濃駅までは代行バスの客(一人でした)となったため、長良川鉄道北濃駅着の動画はブレが激しいので車酔いなされぬよう、ご注意ください。
2022年1月4日(火): 明智鉄道明智駅着
2022年1月5日(水): 長良川鉄道美濃太田駅発
2022年1月6日(木): 信楽高原鐡道貴生川駅発
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台風4号のため残念ながら2日間となりましたが、天竜浜名湖鉄道、遠州鉄道と大井川鐡道を楽しみました。下は天竜浜名湖鉄道のTH2112号気動車が掛川駅を出発するところ。
1987年に三セクの天竜浜名湖鉄道となるまでは国鉄二俣線として50年近く活躍してきたものの、現在はJRのホームの一角を間借りしているような塩梅で、単線、単行、非電化というローカル線の雰囲気一杯でした。以下今回の動画です。
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東北周遊から1か月近くが経ちますが、木工で忙しく、ようやく動画をアップしました。先ずは北上駅を出たキハ100単行が、思っていたよりも軽やかに隣の柳原駅を目指す動画です。続いて以下の動画もご覧いただけます。
2021年9月3日(金): 北上線横手駅着
2021年9月4日(土): 弘南鉄道弘南線黒石駅発
2021年9月6日(月): 常磐線岩沼駅発
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木遊びメンバーの友人である宮大工のSさんが土佐から遊びに来られ、鉋や鑿の仕立てについて色々と教えていただきました。幅広の板を削るための鉋の仕立て方は初めて学ぶ内容でしたが、理屈を考えれば頷ける方法で、木工の世界は奥が深い。Sさん、ありがとうございました。彼は京都府で開催される今年の削ろう会に参戦されるそうで、仲間と見学に行きますか。
最後に見せていただいたのは、切れる鉋刃で鰹節を削るとこうなるというデモンストレーション。薄削りした削り節は今まで食べたことがないような美味しさで、Sさんを囲んでのお茶は、これを商売にできないかという話題で盛り上がりました。Sさんとも協力しながら木遊びの「稼ぐ仕組み」の一つに育てたいですね。
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新年早々、木工仲間のWさんに集塵機のスイッチを自動的にオンオフできるような仕掛けについて相談したところ、回路図まで書いてくださったWさんのコメントは次のとおり。本件、楽しみながら先に進めることとします。
1.木工機械の電源を入れたら集塵機が動き、電源を切ったら集塵機を止める
ことは寺家木工舎で実現済。ただし、寺家木工舎の場合は集塵機ダクトに
取りつけたシャッターの動きに応じて集塵機のスイッチが入るようにして
いる(小生としては、木遊びではそこまでの細工は難しいと判断)。
2.木工機械の電源投入を検知する仕掛けとして小生がAmazonで見つけた電流
検出スイッチが使えるかもしれない。このスイッチからの電流で三相200V
用の電磁開閉器(リレー)を使ってはどうか。
3.そこで重要となるのは、大きなモーター起動電流によりブレーカーが落ちない
よう木工機械と集塵機を同時に立ち上げないことで、そのためには遅延回路が
必要となる。ブログを調べたところ、2009年にこの回路を作っているでは
ありませんか。完全に忘れていました。
という訳で早速Amazonから電流検出スイッチを入手し、スイッチの穴に100V電源ケーブルを通してテストしたのがこの動画。三相200Vを使う木工機械の電源投入、切断も上手く検知できそうです。
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木遊びメンバーと雑談中に彼が鞄から取り出したのは懐中時計、それも部品の要所要所をくり抜いたスケルトン型で、若かりし数十年前、制作にのめり込んだとのこと。それにしても時計を一旦分解し、くり抜く部分を決め、ヤスリなどくり抜き、間違いなく組み立てるという一連の作業は老眼には不可能なことで、ここでも生物多様性と高齢者となった我が身の不自由さを再確認しました。
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急に雨が強くなったと思ったら、2階東側の壁から水があふれ出て、床上浸水。最初は何が起きたのか理解できず声も出ませんでしたが、窓の内外を確認したところ、前のテナントが使っていた空調室内機の排水パイプが壁を貫通しており、そこから水が浸入したと判明。泥が詰まった雨樋が屋根まで雨水で一杯となり、そこに繋ぎこんである排水パイプを雨水が逆流したもので、こんな経験、滅多にできるものではありません。
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拭漆講座二日目、小生は木地固めした椀木地の砥ぎとホローイングした器を再度旋盤に取りつけて傷の解消。他にも作業と話題には事欠かず、椀木地の外側に等間隔の筋をつけた千筋引き、飛び鉋でつけた跡が新鮮な椀木地など、木地の加飾挽きを初めて見て驚き、四角い皿の底に錆漆を塗ってゴムのローラーで仕上げる方法を知るなど、長い歴史の中で培われた漆の技術は奥が深い。
さて、拭漆に疲れたころに藤原先生が取り出したのは電動回転砥石で、砥いだ丸鑿の刃先を青棒をこすりつけたタオルの上で前後させると素晴らしい切れ味となることを体験したり、同じ回転砥石にジグを取りつけて椀を水研ぎする方法を見せてもらったり、今回も収穫多き講座となりました。この水研ぎジグは早速コピーさせていただきます。
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予定していた7月末の中部・関西三セク鉄道制覇が家内の体調不良で順延となったこの機会に、前回散策の動画を遅ればせながらYouTubeにアップしましたので、以下の下線部分をクリックしてご覧ください。
なお、この写真は最終日に桐生駅から間藤駅まで乗った「わたらせ渓谷鐡道(略称わ鐵)」の気動車「わ89-313」号車で、車輛番号に平仮名は珍しく、開業30周年記念のヘッドマークをつけています。
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この4月に幼稚園の年中となった孫の「すずちゃん」、赤ちゃんだと思っていたら、娘からLINE動画が届いて、幼稚園の体操教室で縄跳びを披露していました。最近まで飛べなかったそうですが、自宅での猛練習が実ったようです。子供は成長し、高齢者は不自由となる、それが生き物の定め。
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断捨離中に出てきたのが「土曜日はインマーマン」という歌が入ったカセット・テープ。89年だったか、デュッセルドルフの駐在員の間で流行った歌で、作詞作曲は広告代理店の駐在員だったK君。ドイツでは土曜日の昼から日曜日一杯店が閉まるため土曜日午前中が買い物のチャンスとなる訳で、今はなき三越や日本食料品があったインマーマン通りには、車で買出しに出かけたものです。
写真のテープのジャケットで日の丸の鉢巻きを締めてインマーマン通りに立っているのが若かりし頃のK君で、小型バスを借り切って仲間と出かけたフランスへのスキー旅行にギターを担いで奥様と参加してくれたり、同じテープに入っている「科学忍者インマーマン」を録音したスタジオに駐在員の子供たちをコーラス要員として呼んでくれたり、30年前の思い出一杯のテープです。
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練習会場を借りている沢渡三ツ沢地域ケアプラザで、ギター教室やウクレレ教室の卒業生が集まってのジョイント・コンサートが開催され、我らMMCの7名は 500 Miles、Blowing in the Wind、Close to You と Jambalaya の4曲。ギター教室から始まったMMCではありますが、演奏した楽器はキーボード、エアロフォン(電子サックス)、ドラム、ベース、アコギの5種類に広がり、高齢者の割には好奇心旺盛のようであります。
さて、演奏中は、自分の楽器の音と声が聞こえにくいので出来不出来が分かりませんが、こうやって録画をみると改善すべき点がいろいろと見つかります。ますます練習しましょう。
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6月に開催される演奏会でBlowing in the Wind他を歌うこととなったものの、リードギター担当が参加できず、急きょ同君からイントロ部分の引継ぎを受けました。コードを弾きながらメロディーの音を出すという技なのですが、高校受験勉強中に朝までこの曲を練習したということはギター経験50年。小生の50年後は120歳となってしまう訳で、圧倒的に時間が足りません。さて、どうするか。
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今年4月に南区吉野町へ移転の「横浜元気です」で開催されたアメリカンフォーク・デイでFour Strong Winds、Hush-a-byeそしてBlowing in the Windの3曲を歌ってきました。
40名近い参加者の前だとどうしても大きな声になってしまい、Four Strong Windsに対しては「失恋の歌なんだけど」という暖かなコメントもいただきました。しかしそれは「改善の余地がある」ということでもあり、ますます精進しましょう。
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2016年1月に制覇済みの可部線(山陽本線横川駅から可部駅までの14km)が2017年3月にあき亀山駅まで1.6km延伸されたということで乗りに出かけたものの、電化区間にピカピカの電車ではローカル線愛好者としては楽しめませんでした。以下はその他の動画です。
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今回の旅ではJRに加えて私鉄や三セク鉄道を楽しめました。初日は小湊鐡道といすみ鉄道、二日目は鹿島臨海鉄道、三日目はひたちなか海浜鉄道、真岡鉄道と関東鉄道常総線。共通するのは全て非電化であること。
さて、初日の小湊鐡道、いすみ鉄道と久留里線について。小湊鐡道は名前が示すとおり内房線の五井駅と外房線の安房小湊駅を結ぶ予定だったものの、資金不足であったこと、上総中野駅で木原線(現いすみ鉄道いすみ線)に接続できたことから、上総中野駅以遠の建設が中止され、また木更津と大原を結ぶ予定だった木原線も、上総中野駅で小湊鐡道とつながったことから、以遠の建設が中止された由。更に、木原線の一部となる筈だった久留里線(旧千葉県営鉄道、開業時の軌間は762mm)は木原線との接続を期して1067mmに改軌したものの、木原線が建設中止されたために盲腸線として残ったと、3路線の歴史は三角関係にある人間のようで面白い。
他の動画は次のとおりです。
いすみ鉄道上総中野駅を出発
久留里線上総亀山駅に到着
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鶴見線大川支線は武蔵白石駅の専用ホームから大川駅まで伸びていましたが、専用ホームが17メートル車1両分しかなかったことから1996年の20メートル車への切り替えを期に廃止され、隣の安善駅が運転上の分岐駅となったそうです。大川駅から安善駅へ戻る途中に武蔵白石駅を確認したところ、鶴見線本線用の2面2線が離れた場所に佇んでいました。
それにしても鶴見駅を出たあたりから始まって略全線で線路周囲の雑草が目立った鶴見線。2016年度実績では鶴見線の旅客輸送密度(1日1kmあたりの乗車人数)は14,180人(東洋経済オンラインによる)であるものの営業係数(100円の収入を得るのに必要となる経費)が184円(同)と赤字であることが理由なんでしょう。雑草の状態だけ見るとローカル線の趣でした。
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今回の旅行で出会った鉄道の動画です。下は初日のホテル近くの神戸電鉄有馬温泉駅に到着する電車。この有馬温泉駅の北側700mには1915年から国鉄有馬線の有馬駅があったものの、1928年開業の神戸電鉄の影響で1943年に廃止となったそうで、国鉄有馬線のSLと神戸電鉄の電車がどんな風景を作っていたのか気になります。
三日目には京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)の宮舞線を宮津駅から四所駅まで25分程度チョイ乗りしましたが、いずれじっくりと乗ってみたいものです。
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3月末の演奏会で声をかけていただき、福祉クラブ生協が主催する「ふくしまつり」に参加、午前、午後の2ステージ、福祉クラブの方々や地域の方々に楽しんでいただきました。夏の間は演奏会はなさそうなので、歌やギターをじっくりと練習する時間を確保します。
さて、MMCとしてもビデオ撮影したものの、これからPCに移してDVDに人数分コピーするには時間がかかるため、主催者がその場でFacebookにアップした動画をお送りします。動画ファイルは縦横224x400ピクセル、約3分で6MBと小さく解像度は物足りないものの、情報をいち早く共有するという目的には十分です。個人的にはFacebookやLINEに馴染めませんが、多くの人に使われる理由の一つが分かりました。
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2年ぶりでしたか、母が入居している老人ホーム「きらり港北」で歌ってきました。我々の演奏会では、スクリーンに映した歌詞を見ながらお客様に歌っていただくことが大切と考えていて、今回は歌詞に加えて「宇宙エレベータ」とでも呼べるような自作の動画を見ていただきながら2分間の宇宙旅行を楽しんでいただきました。車椅子で参加された普段は無表情の男性が、動く方の手で拍子をとりながら口を動かしているのをみて、歌は人々を懐かしい昔に連れ戻すための有効な手段であるのだと感じることができました。
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小生の69歳の誕生日を、恒例の手作りケーキではなくアップルパイで家族が祝ってくれました。吹き消したかった蝋燭を消されてしまい「すずちゃん、やりたかった」と不貞腐れる3歳になりたての孫娘も、5年前に祖母の蝋燭を吹き消してしまった兄が小学2年生に成長したのと同様、暫くするとこんな可愛さが消えてしまうんでしょうね。彼らは上り坂、小生は下り坂。誕生日ケーキ動画もそろそろお終いとしますか。
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今回の散策で撮影した動画をまとめて掲載します。先ずは烏山線烏山駅へ到着する動画。宇都宮発烏山着の列車は、宇都宮 - 宝積寺間は架線から電気を得て、宝積寺 - 烏山間(20.4km)はパンタグラフを下げてバッテリーでモーターを回し、烏山駅に到着するとパンタグラフを上げて線路上に張ってある架線から充電(下の動画でその架線の様子を確認できます)、出発時に再びパンタグラフを下げるという運用です。素晴らしい。
他の動画は、駅へ到着するシーンばかりですが、次のとおりです。
・ 日光線日光駅へ
・ 仙山線で山形駅へ
・ 同荒砥駅へ
・ 銚子電鉄外川駅へ
・ 銚子電鉄銚子駅へ
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母97歳、娘婿39歳、孫3歳の3月生まれ3人をまとめてお祝いしようと、わが家で開催された誕生パーティーは、年齢差94歳が同じテーブルで食事をするという、それはそれは目出度いイベントでした。
そこまでは良かったのですが、パーティー最後のバースデイ・ケーキを撮影しようと取り出した一眼カメラもコンデジも電池切れの状態で、仕方なくスマホで撮影したものの、1分少々の動画ファイルサイズは161Mバイト。これではファイルをメールに添付してPCへ送ることもできず、Bluetoothで送ってみたものの転送速度が遅すぎて10分近くかかった上に画質が悪化したようで、最後はスマホに動画圧縮アプリを入れてスマホからYouTubeにアップロードした次第。
そもそもスマホで撮影した動画が何故こんなに大きなサイズになるのか調べてみると、画面解像度がフルHD規格の1920x1080ピクセル、フレーム・レートが29.69fpsなので、1秒あたりの61.57Mビット。これをコーデックで圧縮した結果のビットレートは19.51Mビット(圧縮率は32%)、撮影時間は66秒なのでファイルサイズは19.51Mx66=1287Mビット、即ち161Mバイトとなります。
大まかな理解は以上で正しいと思うのですが、ブログ用に小サイズの写真や動画で十分な小生にとって、写真の最小サイズが2Mバイト前後と大きすぎること、動画の解像度を変更できない(と思われる)ことから、撮影という点でスマホは使いにくいハードと感じます。
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ご当地フォークギター・ユニット「R250」の恒例の忘年会がわが家で開催され、持ち寄った料理と酒で大分できあがった頃に歌が始まったのですが、飲み過ぎの高齢者が上手く歌える訳もなく、その中でも比較的まともだったものを掲載します。来年も元気に歌いたいものです。
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他の暇つぶしに時間を取られたためにアップが遅れましたが、北信越周遊で撮りためた動画をご覧ください。
下の写真は動画から取り出した越美北線越前花堂駅で、通路を隔てて写真右上が北陸本線のプラットフォーム。こんな構造の駅を見たように思いますが、高徳線池谷駅だったか、他にもあったような気がします。
1. 越美北線九頭竜湖駅に到着
2. 越美北線越前花堂駅に到着
5. 城端線城端駅を出発
6. 氷見線氷見駅を出発
7. 弥彦線弥彦駅に到着
8. 吾妻線大前駅を出発
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デュッセルドルフ、リンツ間の直行便は定員76名のBombardier社の双発プロペラ機のみで、飛行高度7600m、速度630km/h、飛行時間40分ほど。機内に置いてあった説明書には非常口から飛び降りるよう書いてありましたが、この高さなら飛び降りることができそうです。
リンツから戻る便では座席がプロペラのすぐ横だったので、離着陸時の車輪を撮影してみました。
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オーストリアのSalzkammergut(ザルツカマーグート)地方は美しい湖水で有名ですが、その中のSt.Wolfgang(ザンクト・ボルフガング)湖の畔から出発するのはSchafbergbahn(シャーフ山鉄道)で、1893年開業ということは今年が124年目。石炭炊きの蒸気機関車には出会えませんでしたが、登りが軽油炊きの蒸気機関車、下りはディーゼル機関車で、いずれも2枚歯のアプト式。標高542mの湖畔から1732mの頂上駅までの標高差は1190m、走行距離5.85km、所要時間約40分。最大勾配は26度だそうで、tan26=0.488、即ち488パーミルということは、世界一と言われるスイスのピラタス鉄道の480パーミルを超えているではないか。
さて、車中で犬には口輪が必要らしく、慣れているんでしょう、こんな感じに大人しくしていました。動画を撮ってきましたので、お楽しみください。
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娘家族が13日目遅れの68歳の誕生日を祝ってくれました。豚カツ好きの小生らしく勝烈庵の馬車道総本店で昼飯にして、家に戻って、手製のちょっと潰れたシホンケーキとモンブランを前に家内のギターと孫たちの歌。本当に幸せな68歳です。
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昨年今頃の東北、北海道散策と今回の九州散策が違う点は勿論気温。北海道では雪が目立ちましたが、九州は南国だけあって線路脇の菜の花が印象的でした(写真は豊後豊岡駅)。
さて、JR九州の列車内装、外装のデザインは素晴らしいものの、列車の端に座っていると座席から腰が離れるくらい車輛が上下する区間が、指宿枕崎線をはじめとして所々にありました。車内で出会った線路保安要員に聞いたところ「線路の継ぎ目が車重で上下するのが揺れの原因で、その防止のために定期的にバラストを補充しているが、なかなか改善が難しい」とのこと。脱線事故などが起きないことを祈ります。
動画撮影に重要なことは、前面窓に近づけることと車輛の揺れが少ないことですが、キハ66系やキハ40系など窓まで近づけない構造の車輛も多く残っており、また列車の揺れが酷くて多くの動画がお釈迦となりました。そんな中でマシな動画をお届けします。
島原鉄道島原外港駅に入ってくる気動車:キハ2500系気動車
島原外港駅を出発:後ろに伸びるのは2008年に廃止された加津佐に至る線路
島原鉄道諫早駅に到着:ターミナル駅でしたが運賃車内精算でした
唐津線久保田駅を出発:キハ125系気動車なので窓まで近づけました
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孫娘のすずちゃんが2歳となり、家内手製のアンパンマン形チーズケーキ、鼻と頬はミニ・トマトという特製ケーキで誕生会。その後、一家でみなとみらいにあるアンパンマン・ミュージアムに出かけるという、アンパンマン一色の日となりました。すずちゃんは館内を歩いていた着ぐるみの「ばいきんまん」が怖かったそうで、帰ってくるなり「ばいきんやん、ばいきんやん」と大騒ぎ。2歳にして女心は微妙です。
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今回の旅では案外電化区間が多く、非電化部分は津山線、姫新線、吉備線、因美線、山陰本線の一部、播但線の一部だけ。非電化区間と電化区間が接する駅では何か微妙な心境と相成るのはローカル線(単線+非電化+単行+美景)好きだからでしょうか。下の動画は津山駅発の列車が岩山駅を出発して新見駅に到着するまでで、新見駅左側は電化されている伯備線、非電化の姫新線線路上には架線がなく寂しげですが、この寂しさが列車旅には欠かせません。他の動画は次のとおりです。
■ 津山駅発の因美線列車が智頭駅に到着(右側から智頭急行の線路が合流します)
■ 姫新線佐用駅での特急列車交換(左は7時38分発スーパーいなば鳥取行、右は
同時刻発スーパーはくと京都行)
■ 福知山線谷川駅での列車色々(左は加古川線、右は14時48分発篠山口行、最後に
入線するのは同時刻発福知山行でこれに乗りました)
■ 草津駅発の草津線電車が柘植駅に到着(乗っているのは111系電車、向かいの
ホームで待っているのはキハ120系気動車亀山行)
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元旦には家族が集まっての昼食が恒例となっていて、今年は95歳の母、娘家族、弟家族の10名が勢ぞろい。家内が元旦の午前2時過ぎまでかかって作ったおせち料理、弟による豚肉の煮物他、大晦日に買い出した刺身などがテーブルに並び、ビールと日本酒で新年を祝いました。
昼食の最中に2015年3月生まれの「すずちゃん」、1歳と9か月少々、が2階に上がると言い出したので、いつもの階段登りの撮影をば。2016年3月には体を支えるために至近距離で撮影したのが、今回は一人で登れるようになっていて、こんな成長を目の当たりにすると、当方の衰えを自覚せざるを得ません。これが世代交代ということでしょう。
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あらく農園の餅つき初日は9人分の餅、11臼を搗きました。動画の搗き手は中学時代に剣道を経験したKさん、腰を据えて振り下ろす杵の着地スピードがものすごく、また返し手のKさんは初参加ながら何十年も経験を積んだようで、お二人とも素晴らしい。
搗き終えたころには昼となって、新鮮野菜で作った味噌汁ときな粉、餡子、大根おろし餅で昼食。昼食後の食器洗いと二日目用の12臼分のもち米の水洗いを、指先のあかぎれをものともせずに担当させていただき、初日が終了。小生が搗いたのは3臼程度でしたが、案の定腰にきて、二日目が心配です。
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地域ケアプラザで開催される「クリスマス会」に向けてAさんと、昨年作った小さなクリスマスツリーを前に練習中。本ブログは小生の日記として、つれづれなるままに、日くらし、木工だギターだ畑だと遊びまわって、心に移りゆくよしなしことを、そこはかとなく書きつくることが心がけであり、ハワイアンのように聞こえるWhite Christmasを恥を忍んで掲載する次第です。
さて、途中でシ♭、ラ、ラ♭、ソと下がるところがあり、この半音刻みを正確に歌えるようになることが今のところ最大の課題で、ハモリ完成までの道は険しい。トホホ。
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早いもので、孫娘のすずちゃんは1歳半。スマホを前に「ハイ・チーズ」と言っているしぐさが、この年齢にして女性を感じさせてくれて、祖父としてはたまりませんね。彼女の母親と同様、兄貴にしごかれて強い女性になるのは間違いないと思います。
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敬老週間でのギター演奏、7日間の東北旅行、芸大でのワークショップ、区役所で情報交換会、地域の祭り、認知症予防講座でのギター演奏と続いた慌ただしい2週間が終わり、東北で撮りためた動画をようやく整理しています。動画の殆どが駅の発着シーンなので、鉄分が少ない方には面白くも何ともないと思いますが、ご勘弁下さい。
下の写真は今回の旅で最も印象的だった釜石線陸中大橋駅を出発してすぐに見上げる橋梁。花巻を出発した列車はゆっくりと山を登り、分水嶺を超えてから急勾配のトンネルをいくつか抜け、右下に陸中大橋駅を見下ろしながらこの鉄橋を渡り、最後はΩの形をしたカーブをトンネルで抜け、陸中大橋駅に到着。この立体的な線形は、木次線の出雲坂根駅とおろちループを思い出させてくれました。
2016年9月23日(金):米坂線坂町駅を出発
2016年9月24日(土):仙石東北ラインで仙台から石巻へ向かう その1、その2
2016年9月25日(日):花輪線十和田南駅へ到着、同駅を出発
2016年9月26日(月):秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線鷹巣駅を出発、同線角館駅へ到着
2016年9月27日(火):釜石線釜石駅へ到着
2016年9月28日(水):石巻線女川駅へ到着
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孫と一緒にパシフィコ横浜で開催中の世界鉄道博2016に行ってきました。レイアウトの質はみなとみらいにある原鉄道模型博物館の方が数段上ですが、鉄道博では大き目の簡易レイアウトを3つ設え、欧州、米国、日本の3地域の車輛をそれぞれ走らせるという趣向で、最終日ということもあって入場するのに20分かかりました。
日本レイアウトでは京急1000形と新幹線500系、米国レイアウトではビッグボーイ、欧州レイアウトではTGVなどが走っていて、いつ見てもOゲージは素晴らしい。でもこれを始めるには、他の楽しみを全て返上するくらいの覚悟が必要でしょうね。
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神大寺にあるレストランCowboy & Hulagirlで月に一回開催されるオープン・マイク、15時から18時までの3時間、参加費を払えば1組あたり20分ほど歌えるという催しに出かけてきました。全6組が参加し出番は4番目。順番を待つ間の焼酎ロック3杯が効いたのか、間奏と勘違いして2番を歌い始めなかったり、2番で終えるところを3番まで歌ったり、散々でした。
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今回の北海道散策で撮影した動画の内、先ずは宗谷本線終点の稚内駅。この日の朝の気温は10℃前半で、ウィンド・ブレーカーを着て街歩きの後、名寄行の気動車に乗って隣の南稚内駅までを撮影したものです。列車を幌延で降り、駅前から沿岸バスの留萌行きに乗って車窓を堪能したことはご報告したとおりです。これ以外の動画は下のリンクからご覧ください。
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孫娘のすずちゃんが歩き始めたというので、片道26kmのすずちゃん宅まで車でお迎えに上がって、わが家にお越しいただきました。まだ不安定ながら上手に歩くものです。95歳の母の歩き方も最近はこんな感じなので、人生の最初と最後は相似形ということです。
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3年少々の香港での生活を終えた娘家族が本帰国し、自宅での生活に戻るための準備に時間がかかるため、わが家に1週間ほど逗留することとなりました。6歳直前の長男と1歳になったばかりの長女主演のドラマが目の前で繰り広げられるので、高齢者としては時々目まいをおぼえつつ、でも自分の生活に直接は関係のないことだと遠くのできごとを眺めているようであり、長女の覚束ぬ足取りに10年後のわが身を見るようでもあり、複雑な心境なのです。
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1935年に全通した札沼(さっしょう)線は札幌の隣、桑園(そうえん)駅と留萌本線の石狩沼田駅を結んでいましたが、太平洋戦争中に不要不急線として石狩当別以遠が休止、道路に転用され、戦後1956年に全線で運行を再会したものの、新十津川駅から石狩沼田駅までの区間は1972年に廃線となりました。
札幌寄りの桑園と北海道医療大学間では20分おき程度に電車が運行されているのに対して、非電化の北海道医療大学と新十津川間(47.6km)は上り下りが1日各3本、輸送密度が18人km(2014年度)と低いことから廃線の噂が絶えません。
駅の先の廃線跡に建物が建っているなど時間の流れを感じるものの、駅そのものは他のローカル線の駅と同じ印象。駅近くの役場前からバスに乗れば10分程度で函館本線の滝川駅に到着するような位置にあるため、廃線となれば寂しいでしょうが、地元住民からすれば大きな問題にはならないと思います。
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この動画の冒頭で左手に見えるのは新幹線で唯一の奥羽本線大曲駅のスイッチバック。暫く進むと神宮寺駅手前で三線軌条が始まり二駅先の峰吉川駅手前まで続いていて、新幹線の行き違いに使われます。秋田新幹線は、中身は田沢湖線と奥羽本線ですが、この三線軌条による複線部分を除いて単線のため、新幹線が駅で普通列車と交換することになり、これまた一度は見てみたいものです。
さて、秋田県ということで、宮脇俊三が「時刻表2万キロ」の第8章「尼崎港線・東羽衣線・角館線・矢島線・阿仁合線」の阿仁合線乗車に書いた「女子高校生のなかには、いまのうちに東京へ連れて行って磨いたら、さぞや、と思われるのが何人かいて、人買いのような心境になった」を思い出して、奥羽本線、男鹿線で朝夕の女子高生を観察したのですが、どうもそれらしき美女には巡り合えませんでした。秋田内陸縦貫鉄道(旧阿仁合線+角館線)でないと駄目なのかしら。
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春休みを利用して娘家族が帰省中で、もうすぐ1歳の誕生日を迎える孫娘が台所の引き戸を自分で開けて階段を上り始めました。女の子なのでもうすぐ6歳の兄の5年前とは違って動きは静か、脚の運びも慎重に無事2階に到着。お転婆娘になるのか、はいはいだからと安心はできません。
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奥羽本線は、東北本線の福島駅から山形、新庄、秋田、弘前を経て青森駅に至る484kmの幹線で、先日の記事で触れたとおり、山形、秋田新幹線導入の結果、狭軌と標準軌が入り組む興味深い路線となっています。そこではどんな列車がどのように運行されているのだろうか、特に起点である福島駅で、標準軌となった在来線に新幹線が乗り入れる現場を観察してみました。
狭軌用の車体に標準軌用台車を備えた719系電車が福島駅を出発、暫くして左から合流するのは山形新幹線の線路で、福島発米沢行の普通列車はその左側の線路に移り、その先の複線部分では東京行の新幹線「つばさ84号」と思しき列車とすれ違いました。
先日訪れた木次線の出雲坂根駅で運転士にポイントは誰が管理しているのかを聞いたところ「(40km以上離れた)木次運輸指令所で管理している」との説明でした。奥羽本線の福島県と山形県部分の運転指令は「仙台総合指令室」が担当しているようですが、同じ線路の上を走る在来線と新幹線を遠隔地でどのように管理しているのか知りたいものです。
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お世話になっているケアプラザで第4回プラザ祭が開催され、ギター・クラブとして4曲歌ってきました。この動画はその中の1曲「想い出の渚」で、声が出ていないしギターも要改善。もっと高度な演奏を目指したいので、皆で動画を何回も見てどこを改善すべきか議論することが次のステップなんでしょう。
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芸備線の備後落合駅は木次線の終点であり、芸備線の三次から、伯備線の備中神代経由新見から、木次線の宍道からの列車がほぼ同時刻に集まるターミナル駅でもあります。そうしないと何もない駅ではどうしようもないというのが理由だと思います。
小生は宍道発備後落合14:22着の木次線で、また新見発備後落合14:24着の芸備線でと備後落合駅を2度訪れましたが、3本の列車が山中の小駅に佇む姿は都会では味わえない「絵」になりますね。さてさて動画は他にも色々あるのですが、今回の旅についてはここいらでお開きとします。ご覧いただき、ありがとうございました。
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山陰本線の宍道(しんじ)駅を起点とする全長82kmの木次(きすき)線は出雲坂根駅にある三段スイッチ・バックが有名で、今回の旅のハイライトの一つ。スイッチ・バックの構造を「Z」の鏡文字を使って説明すれば、先ず底辺を左から右へ登り切ったところが出雲坂根駅、そこで折り返し「Z」の真ん中の線路を左に向かって登り、折り返して最後は「Z」の上辺を右に進んで次の三井野原駅に向かう寸法。いずれも30‰の急勾配で昔は蒸気機関車の重連が見られたのでしょう。
スイッチ・バックを進みながら眼下の出雲坂根駅を眺めたり、谷にかかる国道314号の「奥出雲おろちループ」に驚いたり、何やらお化け屋敷の中を列車で進むような心境に相成る訳です。スイッチ・バック、万歳。
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旅行中にも触れましたが、山陰本線江津(ごうつ)駅と芸備線三次(みよし)駅を結ぶ全長108kmの三江(さんこう)線の輸送密度(1日1kmあたりの乗客数)は50人と少なく、JR西日本としては全線廃線の意向だそうです。全通したのが1975年と40年前なので、廃線となれば短い命であったことになり、国鉄からJRへの経営環境の変化と鉄道から車への移動手段の激変の影響を大きく受けた路線だったということになります。
さて、山がちな日本では川を遡るだけ遡って、山に突き当たるとトンネルで分水嶺を抜けるというのがローカル線のパターンなのですが、この三江線は山の中を走るにも拘らず、広島県三次市あたりでは可愛川(えのかわ)、下流の島根県江津市では江の川(ごうのかわ、江川とも)と呼ばれる川に沿って下るだけの路線で、肥薩線が球磨川に沿って走り下る人吉、八代間を思い出しました。
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全長673kmの山陰本線には長門市駅と仙崎駅を結ぶ長さ2.2kmの短い支線があり、今回は山陽本線の厚狭駅発長門市駅経由仙崎行の美祢線に乗り、この支線を体験しました。
青春18きっぷを利用できる期間には乗客に占める鉄道マニアの割合が特に高いと思われ、乗り鉄(列車に乗っているだけで楽しい)、撮り鉄(車輛などを撮影するのが楽しい)、録り鉄(走行音や車内アナウンスなどを録音するのが楽しい)、時刻表鉄(時刻表を眺め回すのが楽しい)など様々な人種を観察できます。小生は乗り鉄兼撮り鉄の合併症なので、車輛先頭で前方に展開される風景を撮影したいのですが、たまには撮り鉄集団と遭遇することもあり、その場合には後進に場所を譲って後ろの窓での撮影となります。今回乗客は小生1人だけ。仙崎駅のホームには撮り鉄と思しき怪しき人影を認められます。
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年末から逗留中の「すずちゃん」9か月は「はいはい」と「つかまり立ち」を繰り返しながら床掃除に忙しい毎日。頬はツルツルだし体は柔らかいし、最近とみに腰の周辺に変調を抱える高齢者から見ると、誠に羨ましい存在です。何回も触れますが、彼女が20歳になる時は小生は86歳。そこまで頑張れたとしても彼女の結婚式への出席は難しいでしょうね。
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明けましておめでとうございます。年末からわが家に逗留中の孫による空手の形「平安初段」をお届けしながら、今年の十大プロジェクトを選んでみました。どんな年になるのかワクワクします。
1. 木遊びの情報発信強化と会員数増加期待
2. 木遊びに作品展示室整備
3. ゴム銃の試作
4. 器2016、皿2016の制作
5. 木工旋盤作品展(6月)に向けた制作
6. クラフトフェア向けの作品開発
7. フォークギターの上達と演奏会出演
8. あらく農園でのボランティア作業
9. 青春18きっぷを使った北海道旅行(3月)、山陽・山陰旅行(9月)
10. もしかするとドイツ旅行(秋)
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ホウレンソウなどの葉物を出荷する際に根の部分の土を取り除くために使うのが野菜洗浄機。仕掛けはごく簡単で、水道ホースを挿しこんで電源を入れれば準備完了。あとは野菜がブラシに巻き込まれて向こう側の別世界に消えて行かないようにしっかりとつかんで根元を洗うだけ。畑仕事で汚れた指先をきれいにできる副次効果もありそうです。
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引っ越しをするので預かって欲しいと友人のKさんから頼まれた2頭に加えて弟宅のあきちゃんの計3頭を連れて夕方家内と三ツ沢公園まで散歩に出かけたのですが、久しぶりにワンちゃんの楽しさを思い出しました。
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9か月目に入ったすずちゃんによる高難度床運動。はいはいから立ち上がって背の低いテーブルでのつかまり立ち、最後は開脚後方着地(というか尻餅)と素晴らしい流れの演技です。つかまり立ちの時に脚が震えているのは練習不足でしょうか。年末の一時帰国での再会が待ち遠しいですね。
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R250の忘年練習会がわが家で開催され懐かしのフォークソングを歌いました。この曲は「Seven Daffodils(七つの水仙)」で、歌い出しが合っていない、歌詞の切れ目が揃っていないなどなど、久しぶりに歌ったこともあり、こうして録音を聴くと恥ずかしくなります。まだまだ練習が足りませんな。
さて、フォークギター・クラブの活動として、来年2月にはお世話になっている地域ケアプラザでの演奏会が決まり、また春ごろまでには地域のレストランでの演奏会を計画中で、地域ケアプラザで多分4月から始まることとなるギター教室への協力など2016年も色々と楽しめそうです。
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不思議なご縁で弟の家族が増えました。広島生まれの秋田犬、雌、3か月。今までの飼い主が車で連れてきてくれたのですが、見知らぬ人に囲まれてなかなかケージから出ることができません。名前は前の飼い主がつけた「あきちゃん」のままとしたようです。予防接種が済んだら朝晩の散歩にわが家が貢献できるかも。
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3月下旬生まれということは丁度8か月目に入った香港在住の孫娘「すずちゃん」。7月末に会った時には首がまだグラグラしていましたが、本格的「はいはい」に向けて「ずり這い」ができるようになりました。伏せた状態から脚を開いたまま上体を起こす。何と柔軟な体でしょうか。筋力もついたようで、年末に再会する時にはどんな演技を見せてくれるのか、今から楽しみです。
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農家によれば農具の難しさは「一万能(まんのう)、二鎌(かま)、三鍬(くわ)」と、鍬が使いこなせれば一人前だそうで、今回は鍬の講習会。
土寄せでの鍬の使い方には2種類あり、片方の畝に土寄せする場合と左右の畝にまとめて土寄せする場合。この動画は前者ですが、利き手によって体のどちらかの土寄せが難しいのです。農家曰く「臍は真ん中についているじゃねーか」と。可愛くないですね。
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6日間で撮りためた動画をアップします。先ずは初日の羽越本線中条駅での風景。羽越本線は全線電化されていますが、北側の交流区間と南側の直流区間とに分かれていて、新津発酒田行の列車は両区間をまたがって走るために電車ではなくディーゼルカーが使われています。交直両用の車輛は金がかかるということでしょう。
我がキハ48君が14時50分過ぎに中条駅に到着して待つこと数分、左側に秋田行の特急「いなほ7号」が、また右側には新潟行の特急「いなほ10号」が入ってきました。我が各駅停車と比べ乗客も多く、狭い日本そんなに急いでどうするのという感じですが、移動を目的とするなら特急も仕方ないですかね。
・五能線岩舘駅で(去年この駅で「リゾート白神」と交換しました)
・津軽鉄道津軽中里駅に到着
・津軽鉄道津軽五所川原駅に到着
・津軽線新中小国信号場を出発(左手に北海道新幹線、暫く進むと津軽海峡線が見えます)
・津軽線三厩駅に到着
・大湊線陸奥横浜駅に到着
・大湊線大湊駅に到着
・磐越東線いわき駅に到着
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東北旅行の最終日となった六日目は仙台から東北本線、郡山から初体験の磐越東線、いわきから常磐線と乗り継いで青春18きっぷの旅が終わりました。列車の中にいることが多かったので当然ではありますが、この六日間で傘をさしたのは仙台で夕食に出かけた時と地下鉄駅から自宅に帰る時だけと、タッチの差で台風18号の影響を受けずにすみました。
さて、磐越東線は東北本線郡山駅と常磐線いわき駅とを結ぶ全線非電化、単線の路線で、この動画は郡山駅6番線を出発するキハ112列車で撮影したものです。新幹線の高架や東北本線の立派なレールを横目にやや背が低く見えるレールを踏みしめて走る列車に乗る幸せ(というか寂しさ)を感じるのですが、ご理解いただけますでしょうか。
旅で幸せを感じるためには、昨年の東北旅行で記したとおり、非電化、単線、単行、運行本数の少なさ、周囲の景色あたりが前提条件となりますが、単行ではなかったものの、磐越東線はその条件に適っていると思います。そんな路線をこれからも訪ねてみたいですが、そこにたどり着くまでの電車の旅が楽しくないのが問題です。
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香港から小型台風が2個(台風の数え方は「個」ですかね)来襲して数日、朝から晩まで賑やかな毎日です。今回お届けするのは3月末に生まれた二人目で、5年前の初孫でも経験したことを思い出させてくれました。
ところで最近の写真は暗いなと感じていましたが、今回の動画も暗く、どうもカメラの露出補正回路の故障のようです。2010年3月から5年少々使ってきたSONYのDSC-HX5ですが、液晶交換だけで2万円を超えると言われたので、そろそろ買い替え時なんでしょう。
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三ツ沢フォークギター・クラブでは毎年「内部コンサート」を開催してメンバーそれぞれがギターを弾きながら歌を披露することとしており、今年は先生を含めて7名が集まりました。小生は「Hawai'i Aloha」を歌ったものの、メンバーの演技はここでご披露するレベルに達していないということで、先生のスティール・ギター演奏、「All of Me」をば。
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昨年の12月23日から長期逗留していた孫が香港に帰り、関係者一同、平穏な日々に戻ることができることに幸せを感じております。暇になるとTVの前の小生の耳元で大きな声を出すなど4歳らしいところもありましたが、昨年7月に始め11月に白帯からの昇級試験を受けた空手の型を見て、幼児から少年への変身を実感できました。次回は夏休みかな。体調を整えてお待ちします。
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2014年10月21日(火)11時37分に秋田内陸縦貫鉄道の阿仁合駅を出発した角館行き列車が比立内駅で阿仁合行き列車と交換。その後、阿仁マタギ駅で乗り換えたバスが角館駅近くの踏切を渡った時に、仲良く並ぶ秋田内陸縦貫鉄道の狭軌と田沢湖線(秋田新幹線)の標準軌を見てしまったのです。となると自ずと、次なる目標は秋田内陸縦貫鉄道と田沢湖線の完乗ですね。
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2014年10月20日(月)15時14分に五能線十二湖駅を出発した東能代行きの列車が岩舘駅で「リゾートしらかみ5号」青森行きと交換。ところで、例えば横浜市営地下鉄のすれ違いを見てこれほどの幸せを感じることができない理由は何なんでしょうか。旅先での気持ちのたかぶり、運行本数、単線、単行、気道車、周囲の景色、いろいろとあるでしょうが、これが決定的だという理由はなさそうです。小生としては雪の時期に再訪してもっと幸せになりたいものです。
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週末の寺家木工舎での演奏会に向けてわが家で練習となりましたが、ビール、焼酎、ワインを飲むのに忙しく、歌の方は変わり映えせず。その割には、アンコールがあったらどうしようなどと老青年たちの夢は膨らんで、秋の午後は楽しく過ぎ去り、すっかりできあがったのであります。
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今回の旅では四国に残る2か所のスイッチ・バックを見ることができましたが、その内の一つ、坪尻駅の様子をアップします。運転士さんによれば坪尻駅は信号所のようなものだそうで、列車交換には必要な設備だし、駅の利用客はいなくても、若干は客寄せにはなっているだろうし、線路の上を走らざるを得ない鉄道というもの、すれ違うためだけにこれだけの仕掛けを必要とするとは、なかなか奥が深くて楽しい。
この動画は琴平から阿波池田まで乗った土讃線の1000系気動車が退避線に入って更に坪尻駅まで戻るところで、この他にも坪尻駅から本線へ向かう様子や、退避線から坪尻駅に向かう列車を待つ様子もアップしましたので、ご覧ください。
・坪尻駅から阿波池田方面の本線に入る動画
・阿波池田から琴平に向かう坪尻駅で、交換する列車が退避線から坪尻駅に入るのを待つ動画
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土讃線終点の窪川と予讃線終点の宇和島とを(正式には若井と北宇和島)結ぶ予土線が走るのは四国の奥座敷の更に奥のようなところなので、集客狙いでしょう、「鉄道ホビートレイン」、「海洋堂ホビートレイン」、「しまんトロッコ」の3列車を「予土線3兄弟」として売り出していて、その内の「鉄道ホビートレイン」にすれ違いました。キハ32の片面に0系新幹線を模したお面を付けただけで、大したことはないのですが、車内には四国で動いている車輛の模型が展示されており、好きな人は好きなんでしょう。
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地下鉄駅からわが家に向かって「三ツ沢せせらぎ緑道」を歩いていた時に出会ったミンミンゼミ。並木にとまって顔の高さで鳴いていて、近づいても動ぜず、猛暑の最後を飾る力一杯の演奏を聞かせてくれました。鳴く時に少しずつ横に動くことを初めて知りましたが、カマキリなどの攻撃から身を守るためでしょうか。
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遠軽駅から車で30分ほどにある森林公園いこいの村で活躍するSL「雨宮21号」に会いに行きました。広大なオート・キャンプ場の中に8の字に敷かれた線路を客車を引いて走るこのSLは1928年生れの86歳、軌間762mmの武利(むりい)森林鉄道で活躍し、1961年(31歳)にさよなら運転、静態保存期間を経て1980年(52歳)に可動状態に復元され現在に至るそうで、これからの「老後」も元気でいて欲しいです。
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北海道二日目のハイライトは、いずれも予定していなかったもので、暗い方はオホーツク海沿いを走る国道238号線でパトカーに捕まって罰金を払ったこと、明るい方は「トロッコ王国」でトロッコ(エンジン付保線用軌道自転車)に乗れたことで、その明るい方の話を少々。
宗谷本線の美深(びふか)駅から北東に向かって約21kmの仁宇布(にうぷ)駅まで美幸線なる路線があって未成線のまま1985年に廃線されたこと、美幸線の「美」は勿論美深駅から、「幸」は今は無き興浜北線の北見枝幸(きたみえさし)駅から取ったもので、この二つの駅を鉄路で結ぼうという時代があったこと、1935年から1963年までは軌間762mmの美深町営仁宇布線なる鉄道があったこと、美深駅から途中の仁宇布駅まで開通したのが1964年と最近のことだったこと、1972年の時刻表によれば1日5往復の列車が運行されていたことなどを、罰金支払い後の混乱する頭で運転しながら仁宇布駅跡に到着したのが15時50分。駅跡に「トロッコ王国」の看板を掲げた小屋があり、入ってみると16時発最終のトロッコを運転できると言われ、何と幸せな男だろうと感激して乗ったのがこれなんです。
片道なんと5kmもの軌間1067mmの美幸線の線路を走ること約20分、ということは平均15kmで走ったことになりますが、瞬間的には30km近く出ていたんではないでしょうか、折り返し地点に車で先回りしたトロッコ王国の方が待っていてポイントの切り替えをしてくださるという演出で、最後のループ部分は素人製作の凸凹の線路で「アクセルを緩めてゆっくりと走って、ただし緩めすぎると止まってしまいます」と微妙な運転となりましたが、無事に通過し、またゴトゴトゴトと楽しく帰路についたのでありました。因みに正式な鉄道の扱いではないので、農道と交差する所では、トロッコ側が一旦停止となります。
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旅行中に撮影した動画をNexus君からYouTubeにアップする方法が分からず、改めてPCから何回かに分けてアップします。
先ずは旅の初日、稚内空港でレンタカーを借りてチェックインしたホテルは稚内駅前。昼食の場所を探しに訪ねた駅は1面1線、分岐器無しのさっぱりとした構成で、この後に訪れた夕張駅と同じでした。アルミとガラスを多用し、函館駅に似た駅舎は2012年開業と新しく、今やこれが終着駅のデザインなのでしょうか。
さて、丁度出発する13時42分発の旭川行きの列車に、未体験の宗谷本線に誘われたように感じたと言えば、いずれの青春18きっぷの旅に向けての布石としてはやや強引ですかね。
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前日投稿したブログを改めてNexus君で見ると写真の小さいこと。小生のノートブックは2007年に手に入れた年代物で、横幅550ピクセルにリサイズした写真は約10cmの幅で表示されるのですが(11.1型液晶のドット数は横1366、縦768)、Nexus君の場合は液晶幅約9.5cmが1,200ドットなので写真は4.4cm程にしかなりません。一般的なスマホなら横640ドット程度なので画面略一杯に表示されるのですが、高精細画面や大画面の新鋭機ではだめです。時代の流れについていけていない。どうすれば良いのか、困りました。
さて、京都二日目は告別式を失礼して、四条大宮駅から嵐電で仁和寺へ。広い境内、立派な建物、美しい庭園、創建は888年(仁和4年)だそうで、昔の人が持っていた物差しは大きかったんですね。バスで京都駅まで戻って最後は第一旭でラーメンでした。
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ギター仲間のAさんの招待で横浜にぎわい座で開催されたCountry Musicのお祭り「Town Hall Party Yokohama 2014」に行ってきました。全部で10組、総演奏時間は6時間弱。出演者のエネルギーを正面から受けて、氷結2本も加わって、疲れ果てて帰宅した次第。
Country Musicについて何も知らないのですが、江戸時代後期からJohn Denverあたりまでのロカビリーも含めた広く深い音楽の世界で、中でも嬉しかったのは80歳と82歳の尾崎兄弟。フォスター作曲の「Nellie Bly」をハモるところなどは、15年後の目標を見つけた思いでした。
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寒空の下、小田原城二の丸広場で開催された第三回出張カミイチに出店してきました。「小さな家」まとめて8軒で町を作りたいという男性が奥さまに「買ってもいいですか」と確認するのが聞こえたり、「小さな列車」の特に新幹線シリーズを発見して「あっ0系だ」と愛情一杯に新幹線を触ろうとする子供と、ご本人が欲しい車輛にしようと子供を説得する母親との小さな戦いが目の前で30分近くくり広げられたり、作品を売るということは人間観察の機会でもあります。
今回特記すべきは太陽電池で動く改造プラレール。背中に小さな太陽電池を背負った車輛、左右のレールに貼った銅板から集電する車輛、片方の銅板と架線から集電する車輛の三種類が走っていました。小田原のガス屋さんの店頭に飾られているそうで、作者の熱意が伝わってきました。
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未明から降り始めた雪は夕方には20cm近くなりました。横浜での観測史上最深積雪は1945年2月26日の45cmで、1954年1月24日の39cmが戦後最深積雪とのこと。子供の頃、父親に怒られて雪の庭に放り投げられた記憶がありますが、ケガをしなかったのは30cmは積もっていたからでしょう。
リンゴの芯などが置いてある庭の餌台は鳥たちの冬季限定食堂で、大雪の中、現れたのはヒヨドリ君。そうなると小型のシジュウカラ、ハクセキレイやスズメ諸氏は近寄れませんが、彼ら用にヒマワリの種を入れたペットボトルを吊るしてあって、ヒヨドリには短すぎる止まり木にしてあるので、体の大きさによって食堂が分かれている訳です。
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