スペインから列車でパリに戻りました。日記からは、毎日のようにいろいろな友人と会ったり食事をしたりしていたことがわかりますが、携帯電話もない時代にどうやって連絡したのだろうか不思議です。以下は日記の要約です。
1972年12月9日(土) 13時頃Pacifico(中華料理屋)で再び酢豚を食べる。パリまでの切符がなかなか手に入らず、夕食も同じPacifico。22時発の列車でスペインに別れを告げる。日記には「さらばマドリッド。さらばスペイン。そんな感じのするNorte駅だった」と感傷的な文章が。
1972年12月10日(日) 朝8時に国境で寝台列車を乗換え17時半ごろパリ着。ホテルバルコンは一杯で近くの安ホテルに落ち着く。「東方」なる中華料理屋で酢豚とご飯2杯。
1972年12月11日(月) JALで世界史の本を受け取る。学生組織でニューヨーク行きの飛行機を予約する。12月23日18時発、ニューヨーク21時半着。ホテルのマダムが1週間いるなら(1泊30フランを)25フランにするというので、このホテルに滞在を決める。
1972年12月12日(火) 喉が痛み熱っぽい。友人たちが食料を買ってきてくれる。ありがたい。火曜日は多くの美術館が休みなので、明日から美術館巡りとする。
1972年12月13日(水) JALに行くも例のマフラーは届かず。印象派美術館で女の子に出逢い、明日待ち合わせることとする。友人の一人のお別れパーティーあり。
1972年12月14日(木) 昼に女の子と待ち合わせてルーブルへ。どこにいるのか分からなくなるほど広かった。夕方中田君の家まで出かける。
1972年12月15日(金) 今日も女の子とブラブラする。ホテルにいたら山田が帰ってきて皆で肉野菜炒めで夕食。彼女を送って帰る。
1972年12月16日(土) 風邪が抜けず。山田と近代美術館へ出かける。
1972年12月17日(日) 体調悪し。ノミの市を散策。
1972年12月18日(月) 昼に女の子と待ち合わせてアンバリッド、ロダン博物館へ。22時Nord駅発のロンドン行きの列車に乗る。
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