Page: 1/8   >>
北陸鉄道能登線キハ5301

 

1970年夏のことだったか、それぞれの名前を白く刺繍した(左側の女性と中央の男性が着ている)濃紺のトレーナーを誂えた若き5人組が能登へ出かけた時の写真と、机脇の古いアルバムで再会しました。

 

そのアルバムに挟んであった手書きメモによれば、上野20時40分発の急行越前あるいは20時53分発の急行白山51号で信越本線、北陸本線と走って津幡下車、津幡5時50分発あるいは6時30分発の七尾線で羽咋、羽咋から北陸鉄道能登線で終点三明に向かい、三明からバスを巌門(がんもん、能登金剛)、富来(とぎ)、門前と乗り継いで輪島に夕方到着という、乗り鉄としては垂涎を禁じ得ない行程を楽しんだようです。

 

さて、北陸鉄道能登線にはキハ5301気動車が走っていて、この写真は羽咋駅でキハ5301のバケットに立つ5人組。能登線は直後の1972年に廃線となり、キハ5301は関東鉄道に譲渡されたそうで、人生同様、列車の一生も色々です。

 

キハ5301


(この他の記事はこちらから検索できます)

| すうさん | 08:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (56) SONY Micro Cassette-corder M-900

 

家内が「これどうするの」と言って持ってきたのはマイクロ・カセット・テープ用の録音機「SONY Micro Cassette-corder M-900」。手に入れたのは1980年代前半で、1985年からの西ドイツ赴任に持参したものと思われます。当時のSONYは音響機器メーカーの先駆者として魅力的な製品を出し続けていましたが、いつの間にか、このようなドキドキする製品が生まれてこなくなりました。SONYだけでなく、日本におけるこの分野の製造業全体が往時の勢いを失ってしまったようです。

 

M-900

 

(この他の記事はこちらから検索できます)

| すうさん | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (55) SONY ICF-7600

 

1985年に会社の後輩から譲ってもらったSONYのマルチ・バンド・ラジオ。台所で活躍していたのですが、寄る年波には勝てずに雑音が混じる状態となり、勇退されます。

 

ロンドンの現地法人への営業・会計システム導入のため、1985年3月から5月まで3か月ほど一緒に出張した後輩がこのラジオで毎晩日本からの短波放送を聞いていることを知り、出張後すぐに西ドイツ(当時)への赴任が決まっていたので、譲ってくれと無理矢理お願いしたことを思い出しました。あれから31年ですか。

 

SONY ICF-7600

 

(この他の記事はこちらから検索できます)

| すうさん | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Schumacher Alt

1985年から90年までの西ドイツ駐在時代に良く飲んだのが、Duesseldorfとその周辺地域名産の地ビール「Altbier(アルトビール)」で、夏でも冷やさずに飲むのが特徴。市内の醸造所兼レストランで飲むのが一番ですが、自宅にお客様を迎える時には写真の1Lの瓶詰を、大人数の場合は樽を買ってきたものです。保存料を含まないため賞味期限は短く、このSchumacherの場合は30日。町の肉屋で買ってくる手作りハムも同様で、暑い時は翌日になるとおかしくなるくらいでした。懐かしい思い出です。

Alt Bier

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (54) 花瓶

バックギャモンに続いて西ドイツ時代の想い出の花瓶。観光地として有名なローテンブルグに出かけた時に市庁舎前広場に面した土産屋で80年代後半に手に入れたもので、裏を見ると Rosenthal とあります。

1985年5月の赴任直後に1か月ほどこのローテンブルグにあるドイツ語学校で勉強する機会を得ましたが、日米欧の若者と仲良くなって毎日のように飲み歩き、ドイツ語の勉強どころではありませんでした。5年半の赴任期間中は英語で何とかなったので、結局ドイツ語は使い物にならず。高齢者になって改めて勉強しなおしたいとも思いますが、忙しい他の遊びを整理しないことには難しそうです。

花瓶

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (53) バックギャモン

1985年から1990年までの西ドイツ駐在時代、業務系システムの維持管理を主な仕事としてたこともあり、専用線で結ばれ多数の端末や大型プリンターが設置されたハンブルグ支店には時々出張する機会がありました。今はなき支店はハンブルグ市中心の繁華街にあり、昼食後など街歩きしながらウィンドー・ショッピングを楽しみましたが、ある日衝動買いしたのがこのバックギャモン。

箱は木で、またサイコロのカップも木をくりぬいたもので、その頃から木の温もりをよしとしたのでしょう。久しぶりに押入れから取り出して見ると、中に入れてあったルール・ブックにシミができていて、玉手箱の中から30年前の空気が出てきたようでした。このルール・ブック、ルールも知らない小生のために、当時ロンドンにいた後輩がくれたもので、彼とは何度か対戦したものの1990年末の帰国後は一度も使っていません。今となってはルールを思い出すより、これと同じようなものを作ってみたい気持ちで、象嵌など加飾の勉強になりそうです。

バックギャモン

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (52) パンク修理キット

家内の自転車がパンクしたということで、パンク修理キットを探していたら出てきたのがこれ。1980年代の西ドイツ駐在時代に買ったもので、左下に「W-GERMANY」とあります。中に入っていた虫ゴムなどはベタベタになっていましたが、当時乗っていたマウンテンバイクをこれで修理したんだなと、30年前を思い出しました。

パンク修理

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (51) ウィンド・ブレーカー

1998年からのニューヨーク時代は、会社と関係が深かったゴルフ・クラブのメンバーにしてもらって、アップ・ダウンのきついコースでしたが、春から秋まで仲間とゴルフを楽しんだものです。社内のコンペもそこで開催されることが多く、胸にクラブのマークが刺繍されたこのウィンド・ブレーカーは部門コンペでの優勝賞品。ニューヨークでは郊外に家を借りていて、このゴルフ場までVWのNew Beetleで20分程、緑が一杯の林の中を走ったことを思い出しました。

ウィンド・ブレーカー

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (50) 住所シール

隣に引っ越してきた弟が「家にこんなものがあったんだけど」と持ってきたのは、1985年から5年半の西ドイツ駐在時代に使っていたバック・パック。合成ゴムを使った製品の常として、内側は30年の間に加水分解してベタベタになって使える状態ではなくなりましたが、カバーについていた名札入れにこの紙片を見つけました。

2行目の住所は「レルヒェンシュトラッセ ズィーベン ウントゥ ツヴァンツィッヒ」と発音し、訳せば「雲雀通り27番地」。日本人学校の隣のアパートがこの住所で、そこの4階に住んでいました。出張などで空港までのタクシーを呼ぶ時には電話口のオペレーターにこの住所を伝えるのですが、日本人が不得意な「R」の発音、この場合は「レルヒェン」の「ル」と「シュトラッセ」の「ラ」の発音が難しく、最初の内は何回も聞き直されことを昨日のことのように思い出しました。

名札

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (49) ゴルフ練習場利用券

机の抽斗から出てきたのは10年ほど前のゴルフ練習場の利用券。「やまゆりゴルフセンター」は地下鉄片倉町駅近くで距離は150ヤード程度。「TOPIC GOLF CLUB」は、第三京浜からもネットが見えますが、三枚町の畑の中の練習場で距離は200ヤード程度と、こちらは大型施設です。

腰の痛みでゴルフをやめるまでいずれの練習場でも「プロ」に何回か教えてもらいましたが、教える気があるのかないのか、勉強になったという記憶はありません。向こうからすれば朝から晩まで下手と付き合っている訳なのでそうなる気持ちも分かりますが、多分、日本中のゴルフ練習場の殆どの「プロ」たちはそんな感じなんでしょうね。

ゴルフ練習場利用券

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (48) アディダス グランドスラム

この靴、アディダスのグランドスラムというスニーカーで、ソールの踵部分にプラスチックの棒が3本ささっているのが特徴です。30年間にわたるグランドスラムの思い出を少々。

グランドスラムに出会ったのは確か1985年の西ドイツ赴任前だったと記憶します。西ドイツで同じものを発見して、週末用、テニス用の靴として愛用し、室内テニスコート用のソールがツルツルのものも持っていました。

西ドイツから帰国する前年、1989年の夏休みにケニアに出かけ、モンバサの海岸で黒檀の彫刻と交換したことについては前に触れました

2002年末にニューヨーク赴任から戻り、暫くしてネットでグランドスラムの復刻版を見つけて早速手に入れ、この靴はそれから数えて3代目で、4年ほど履いてソールが剥がれかけてきたので最近引退したものです。他にもストライプが紺色のモデル、白色のモデルも持っていて、モノとヒトの波長がピッタリと合うと浮気できないということの好例です。

アディダス

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (47) ThinkPad R32

2002年末に米国から戻ってすぐに買ったIBMのThinkPadを2004年末ハワイで車上荒しに盗まれ、2005年初にソフマップで買ったのが右側のThinlPad R32。2007年にVAIOが加わったので家内専用となりましたが「遅い」ということで数年前からアイロン台の一角で埃をかぶっていたのですが、とうとう廃棄することとなりHDDのクリーンアップ中。

仕様は、プロセッサーがPentium 4、メモリーは128MBを確か256MBにアップ、HDDは実測で27GB、LCDは1024x768。この時代のIBM PCの特徴として、キーボード中央に「トラックポイント」と呼ばれる赤い突起がカーソルを動かすために用意され、外付けのディスケット・ドライブが付いてきました。

人が年老いて次の世代に道を譲るのと同じで、左のVAIO君もそろそろ7年目となるので、身の振り方を考えなくては。

ThinkPad

(この他の記事はこちらから検索できます)
| すうさん | 08:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (46) 引出物


1978年2月の結婚式の引き出物はこの北欧製のグラス5個でした。ドイツだアメリカだと引っ越す間にわが家のものは全て割れてしまい、家内の実家から拝借してきたものを使っています。あれから35年半。年をとる訳です。

引出物

(この他の記事はこちらから検索できます)

| すうさん | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1972年世界一周旅行 (47) 完


2011年4月5日から掲載してきた世界一周旅行もとうとう最終回を迎えることとなりました。旅行期間は257日間だったのに、本掲載は2年半もかけて昔の日記を読み返したり、アルバムを眺めたり、本人が一番楽しめたと思います。

日本に帰って4年生に復学していざ勉強なのですが、世界旅行の余熱で就職する気にはなれなくて、そのまま修士課程に進むこととなりました。以下は日記の要約です。

1973年3月7日(水)    バスが寒くて眠れず。朝5時半にオアハカ着。ホテルベラクルスに入る。1泊40ドル。ホテル近くの朝市を眺め、10時半発のバスでモンテアルバンへ向かう。モンテアルバンのピラミッドの裏にいた怪しげな男たちから指輪を買ったが、ホテルで聞いたら亀の甲羅で作った新しいものとのこと。

1973年3月8日(木)    朝7時半のバスでメキシコシティーへ。立派な道路を飛ばすバスからは、車にはねられた犬やロバの死骸が沢山見えた。ホテルで少々休んで中華を食べに行く。酢豚に海老スープとご飯。

1973年3月9日(金)    昼まで寝てTolucaまでバスで1時間半。バザールを見物するも面白いものは無し。

1973年3月10日(土)    午前中バスで土曜バザールへ。チキンで昼飯。夜は日本人とエビとビールの後でマリアッチを聴きに行く。

1973年3月11日(日)    8時半に起きてバレーを見に行く。原色の衣装をまとっての激しい踊りとマリアッチが良かった。

1973年3月12日(月)    バスに1時間乗ってテオティワカンのピラミッド見物。暑くてTシャツ1枚で歩く。夕方5時にメキシコシティーに戻る。夜は日本人と中華料理屋でラーメンとする。

1973年3月13日(火)    朝8時バスで出発。

1973年3月14日(水)    Santa Anaまで一日中バス。

1973年3月15日(木)    朝4時半ティワナ着。San Ysidroへは朝5時半着。バスを乗り継いでサンフランシスコへは22時半着。故郷へ戻ったような気がした。

1973年3月16日(金)    昼はF君と市内観光。夜、彼のバイト先(キャナリーのレストラン)で仕事を手伝う。

1973年3月17日(土)    昼ごろ起き出して映画を見てフィルムを現像する。

1973年3月18日(日)    F君のアパートの近くでタクシーをつかまえ値段交渉の上、空港まで。

1973年3月19日(月)    羽田に戻り、架空の人物を呼び出してもらうようF君宛にコレクトコールして無事の帰国を伝える。

ピラミッドの前で

(この他の記事はこちらから検索できます)

| すうさん | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1972年世界一周旅行 (46) メキシコ旅行


サンフランシスコの日本料理屋の皿洗いで稼いだ資金でメキシコまで出かけることとしました。ただし、飛行機ではなく片道70時間近くかかるバスで。メキシコ・シィティーではアフガニスタンに続いて二回目の下痢。いずれも半熟卵が原因だったようです。以下は日記の要約です。

1973年3月2日(金)    22時15分発のバスでサンディエゴに向かう。首が痛くて良く寝られず。

1973年3月3日(土)    11時33分サンディエゴ着。バスを乗り換えてSan Ysidroへ。歩いて国境を越えてバスターミナルで昼食。16時にメキシコシティー行きのバスが出発。夜中の23時にメキシコ側の税関で荷物検査。袖の下を目の当たりにする。

1973年3月4日(日)    朝8時半に朝食。14時半にLos Machiosで昼飯。18時クリアカン、20時マサトラン。

1973年3月5日(月)    朝7時にグアダラハラで朝食。ハムエッグ、豆、コーヒー、ドーナツで20ドル。17時にメキシコシティー着。サンフランシスコから合計67時間のバスの旅が終わる。歩いて探したモンテカルロホテルはシングルで30ドル。シャワーを浴びて近くの中華で夕食。半熟の卵があたったのかホテルへ戻ると下痢。

1973年3月6日(火)    朝10時ごろホテルで日本人と会って一緒に朝食。暑い。宝石屋でオパールとトルコ石を買う。21時バスデポでオアハカ行きのバスに乗る。

バス券

(この他の記事はこちらから検索できます)

| すうさん | 08:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

Calendar

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>

Profile + Power Search

Search

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Archives

Links

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode