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1972年7月20日

 

弟からのメールで、弟の友人のブログの1972年7月20日のところに小生の写真が掲載されていることを知りました。その年は、弟と友人たちと東京からバンコックまで飛び、そこから弟たちは直行便でアフガニスタンへ、小生はネパール、インド経由アフガニスタンへと移動して、首都カブールで再会したことについて書かれています(以下写真)。長くなりますが、当日の小生の日記は次のとおりです。

 

20 July(木)晴 Kabul(括弧内は補足説明)

 

(前日夕方蒸し暑いインドから涼しいカブールに到着し Mustafa ホテルに泊まる)6:30に前の道を通る車の音に目がさめる。(飛行機で一緒だった)インド人も起きてきて食堂で25AF(アフガニー、100円ほど)の朝食。地図を買いにSPINZER(何屋か不明)に行く途中で(ニューデリーからの飛行機で一緒だった)福田夫妻に逢う。一緒に地図(10AF、40円ほど)を買って、Tourist Informationでバーミアン方面のツアー料金を聞いた。とても高い。Information(SPINZERにある)の前でTom(アメリカ人)に会って、カイバルレストランでオレンジジュース6AF(24円ほど)。

 

三国連太郎の撮影隊が来ていて、カイバルレストランの前で撮影していた。歩いてMustafaホテル、久米さん(確か日本大使館で土木関係の国際協力業務を担当)のお宅に12時頃伺う。途中、長袖の良いシャツがあり120AFを80AFに、またナイフ売りの少年は200AFのナイフを15AFにまけるとのことだったが、いずれも買わず。

 

久米さんの家でジュースをご馳走になり、車でシャビスタンホテル(弟たちが止まっていたホテル)まで送ってもらう。弟たちは未だ(カブールの北、中国国境に近い山岳地帯で綺麗な湖があるアンジュマンへ)出発していないとのことで、助かった。

 

シャビスタンホテルで福田氏に待っていてもらって、幹と弟とでドルの両替にOldバザールに行く。1$=83AFで20$取り換える。その前にインド人と福田夫妻とで同じバザールに買い物の手伝いに行き、幹がペラペラ喋るのに驚いた。幹は散弾銃とピストルを買う。

 

20時頃、久米さんのお宅に招かれてギョーザ、味噌汁を味わう。10:30頃ホテルに帰ってパッキングしてからハッシッシパーティー、1時頃寝た。明日はいよいよバーミアン(タリバンが破壊した摩崖仏で有名)へ出発。タクシー4400AF(3泊4日の旅で17000円ほど。運転手の飯代、宿泊代を含む。これを3人で折半。17000円は運転手の数か月分の収入に相当と記憶する)。

 

1972年7月20日

 

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| すうさん | 08:25 | comments(0) | - | pookmark |
World Snooker Championship, 1985

 

木遊びでの高齢者による昔話にビリヤードが出てきたものの小生経験なく会話に参加できず、代わりに1985年英国出張時の出来事を思い出しました。ロンドン支店(当時)へのコンピュータ・システムの導入を終え、帰国数日前に仲間の出張者と飲んで、地下鉄Circle LineのSouth Kensington駅近くの安ホテルに戻って一人で見たのか、仲間と見たのか、35フレームの内18フレームを取れば優勝という決勝戦が17対17まで進み、最後のフレームの最後の黒球をポケットに入れ66対62でDennis Taylor(写真右)が逆転勝利したのです。

 

YouTubeで見つけたTV番組の試合後のインタビューで、1981年、83年、84年のWorld Snooker Championship優勝者にしてその後も87年、88年、89年と優勝した王者Steve Davis(写真中央)の苦虫を噛み潰したような顔の隣でDennis Taylorが「I am the best, this year!」と叫び(今年だけは優勝させてもらったぞといったところ)、その後の賞金とトロフィー授与では優勝者に贈られる6万ポンドの小切手についてインタビューアが「A little bit of money.」といったように(当時のレートが300円ほどだったので1800万円、今のお金なら2000万円といったところ)、お金よりも名誉が大切といった英国らしい戦いを見た気がしました。

 

ネットで調べると、この決勝戦がTV放映されたのは1985年4月28日(日)の夜、ということは英国出張から戻り1か月も経たない5月末に今度は西ドイツに赴任した訳で、若かったなぁ。

 

1985 World Snooker Championship

 

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| すうさん | 08:30 | comments(0) | - | pookmark |
【動画】土曜日はインマーマン

 

断捨離中に出てきたのが「土曜日はインマーマン」という歌が入ったカセット・テープ。89年だったか、デュッセルドルフの駐在員の間で流行った歌で、作詞作曲は広告代理店の駐在員だったK君。ドイツでは土曜日の昼から日曜日一杯店が閉まるため土曜日午前中が買い物のチャンスとなる訳で、今はなき三越や日本食料品があったインマーマン通りには、車で買出しに出かけたものです。

 

写真のテープのジャケットで日の丸の鉢巻きを締めてインマーマン通りに立っているのが若かりし頃のK君で、小型バスを借り切って仲間と出かけたフランスへのスキー旅行にギターを担いで奥様と参加してくれたり、同じテープに入っている「科学忍者インマーマン」を録音したスタジオに駐在員の子供たちをコーラス要員として呼んでくれたり、30年前の思い出一杯のテープです。

 


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| すうさん | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ノートルダム大聖堂

 

現地時刻4月15日夕方にノートルダム大聖堂で火災が発生し屋根と尖塔が燃え落ちたと知ったその日に家内の実家を整理しに出かけ、父の油絵2点を持ち帰ってきました。写真左はVWのマイクロバスを借りて皆で出かけたスイス、ブリエンツ湖の風景、右はパリのノートルダム大聖堂の後姿。その日の朝のニュースで、この油絵とフランスにある大聖堂とが見えない糸でつながっていたことに不思議な縁を感じました。

 

父がノートルダム大聖堂に初めて出会ったのは1971年。翌1972年の小生の欧州旅行の際に「ノートルダム大聖堂を油絵にしたいのでシテ島に橋がどのようにつながっているか調べて欲しい」と父から頼まれ、現地で写真撮影してフィルムを日本に送ったことを、この絵を見て思い出しました。昨日のことのような47年前の出来事です。

 

油絵2点


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| すうさん | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
北陸鉄道能登線キハ5301

 

1970年夏のことだったか、それぞれの名前を白く刺繍した(左側の女性と中央の男性が着ている)濃紺のトレーナーを誂えた若き5人組が能登へ出かけた時の写真と、机脇の古いアルバムで再会しました。

 

そのアルバムに挟んであった手書きメモによれば、上野20時40分発の急行越前あるいは20時53分発の急行白山51号で信越本線、北陸本線と走って津幡下車、津幡5時50分発あるいは6時30分発の七尾線で羽咋、羽咋から北陸鉄道能登線で終点三明に向かい、三明からバスを巌門(がんもん、能登金剛)、富来(とぎ)、門前と乗り継いで輪島に夕方到着という、乗り鉄としては垂涎を禁じ得ない行程を楽しんだようです。

 

さて、北陸鉄道能登線にはキハ5301気動車が走っていて、この写真は羽咋駅でキハ5301のバケットに立つ5人組。能登線は直後の1972年に廃線となり、キハ5301は関東鉄道に譲渡されたそうで、人生同様、列車の一生も色々です。

 

キハ5301


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| すうさん | 08:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (56) SONY Micro Cassette-corder M-900

 

家内が「これどうするの」と言って持ってきたのはマイクロ・カセット・テープ用の録音機「SONY Micro Cassette-corder M-900」。手に入れたのは1980年代前半で、1985年からの西ドイツ赴任に持参したものと思われます。当時のSONYは音響機器メーカーの先駆者として魅力的な製品を出し続けていましたが、いつの間にか、このようなドキドキする製品が生まれてこなくなりました。SONYだけでなく、日本におけるこの分野の製造業全体が往時の勢いを失ってしまったようです。

 

M-900

 

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| すうさん | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (55) SONY ICF-7600

 

1985年に会社の後輩から譲ってもらったSONYのマルチ・バンド・ラジオ。台所で活躍していたのですが、寄る年波には勝てずに雑音が混じる状態となり、勇退されます。

 

ロンドンの現地法人への営業・会計システム導入のため、1985年3月から5月まで3か月ほど一緒に出張した後輩がこのラジオで毎晩日本からの短波放送を聞いていることを知り、出張後すぐに西ドイツ(当時)への赴任が決まっていたので、譲ってくれと無理矢理お願いしたことを思い出しました。あれから31年ですか。

 

SONY ICF-7600

 

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| すうさん | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Schumacher Alt

1985年から90年までの西ドイツ駐在時代に良く飲んだのが、Duesseldorfとその周辺地域名産の地ビール「Altbier(アルトビール)」で、夏でも冷やさずに飲むのが特徴。市内の醸造所兼レストランで飲むのが一番ですが、自宅にお客様を迎える時には写真の1Lの瓶詰を、大人数の場合は樽を買ってきたものです。保存料を含まないため賞味期限は短く、このSchumacherの場合は30日。町の肉屋で買ってくる手作りハムも同様で、暑い時は翌日になるとおかしくなるくらいでした。懐かしい思い出です。

Alt Bier

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| すうさん | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (54) 花瓶

バックギャモンに続いて西ドイツ時代の想い出の花瓶。観光地として有名なローテンブルグに出かけた時に市庁舎前広場に面した土産屋で80年代後半に手に入れたもので、裏を見ると Rosenthal とあります。

1985年5月の赴任直後に1か月ほどこのローテンブルグにあるドイツ語学校で勉強する機会を得ましたが、日米欧の若者と仲良くなって毎日のように飲み歩き、ドイツ語の勉強どころではありませんでした。5年半の赴任期間中は英語で何とかなったので、結局ドイツ語は使い物にならず。高齢者になって改めて勉強しなおしたいとも思いますが、忙しい他の遊びを整理しないことには難しそうです。

花瓶

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| すうさん | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (53) バックギャモン

1985年から1990年までの西ドイツ駐在時代、業務系システムの維持管理を主な仕事としてたこともあり、専用線で結ばれ多数の端末や大型プリンターが設置されたハンブルグ支店には時々出張する機会がありました。今はなき支店はハンブルグ市中心の繁華街にあり、昼食後など街歩きしながらウィンドー・ショッピングを楽しみましたが、ある日衝動買いしたのがこのバックギャモン。

箱は木で、またサイコロのカップも木をくりぬいたもので、その頃から木の温もりをよしとしたのでしょう。久しぶりに押入れから取り出して見ると、中に入れてあったルール・ブックにシミができていて、玉手箱の中から30年前の空気が出てきたようでした。このルール・ブック、ルールも知らない小生のために、当時ロンドンにいた後輩がくれたもので、彼とは何度か対戦したものの1990年末の帰国後は一度も使っていません。今となってはルールを思い出すより、これと同じようなものを作ってみたい気持ちで、象嵌など加飾の勉強になりそうです。

バックギャモン

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| すうさん | 08:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (52) パンク修理キット

家内の自転車がパンクしたということで、パンク修理キットを探していたら出てきたのがこれ。1980年代の西ドイツ駐在時代に買ったもので、左下に「W-GERMANY」とあります。中に入っていた虫ゴムなどはベタベタになっていましたが、当時乗っていたマウンテンバイクをこれで修理したんだなと、30年前を思い出しました。

パンク修理

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| すうさん | 08:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (51) ウィンド・ブレーカー

1998年からのニューヨーク時代は、会社と関係が深かったゴルフ・クラブのメンバーにしてもらって、アップ・ダウンのきついコースでしたが、春から秋まで仲間とゴルフを楽しんだものです。社内のコンペもそこで開催されることが多く、胸にクラブのマークが刺繍されたこのウィンド・ブレーカーは部門コンペでの優勝賞品。ニューヨークでは郊外に家を借りていて、このゴルフ場までVWのNew Beetleで20分程、緑が一杯の林の中を走ったことを思い出しました。

ウィンド・ブレーカー

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| すうさん | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (50) 住所シール

隣に引っ越してきた弟が「家にこんなものがあったんだけど」と持ってきたのは、1985年から5年半の西ドイツ駐在時代に使っていたバック・パック。合成ゴムを使った製品の常として、内側は30年の間に加水分解してベタベタになって使える状態ではなくなりましたが、カバーについていた名札入れにこの紙片を見つけました。

2行目の住所は「レルヒェンシュトラッセ ズィーベン ウントゥ ツヴァンツィッヒ」と発音し、訳せば「雲雀通り27番地」。日本人学校の隣のアパートがこの住所で、そこの4階に住んでいました。出張などで空港までのタクシーを呼ぶ時には電話口のオペレーターにこの住所を伝えるのですが、日本人が不得意な「R」の発音、この場合は「レルヒェン」の「ル」と「シュトラッセ」の「ラ」の発音が難しく、最初の内は何回も聞き直されことを昨日のことのように思い出しました。

名札

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| すうさん | 08:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出の小物たち (49) ゴルフ練習場利用券

机の抽斗から出てきたのは10年ほど前のゴルフ練習場の利用券。「やまゆりゴルフセンター」は地下鉄片倉町駅近くで距離は150ヤード程度。「TOPIC GOLF CLUB」は、第三京浜からもネットが見えますが、三枚町の畑の中の練習場で距離は200ヤード程度と、こちらは大型施設です。

腰の痛みでゴルフをやめるまでいずれの練習場でも「プロ」に何回か教えてもらいましたが、教える気があるのかないのか、勉強になったという記憶はありません。向こうからすれば朝から晩まで下手と付き合っている訳なのでそうなる気持ちも分かりますが、多分、日本中のゴルフ練習場の殆どの「プロ」たちはそんな感じなんでしょうね。

ゴルフ練習場利用券

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思い出の小物たち (48) アディダス グランドスラム

この靴、アディダスのグランドスラムというスニーカーで、ソールの踵部分にプラスチックの棒が3本ささっているのが特徴です。30年間にわたるグランドスラムの思い出を少々。

グランドスラムに出会ったのは確か1985年の西ドイツ赴任前だったと記憶します。西ドイツで同じものを発見して、週末用、テニス用の靴として愛用し、室内テニスコート用のソールがツルツルのものも持っていました。

西ドイツから帰国する前年、1989年の夏休みにケニアに出かけ、モンバサの海岸で黒檀の彫刻と交換したことについては前に触れました

2002年末にニューヨーク赴任から戻り、暫くしてネットでグランドスラムの復刻版を見つけて早速手に入れ、この靴はそれから数えて3代目で、4年ほど履いてソールが剥がれかけてきたので最近引退したものです。他にもストライプが紺色のモデル、白色のモデルも持っていて、モノとヒトの波長がピッタリと合うと浮気できないということの好例です。

アディダス

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| すうさん | 08:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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